短説と小説「西向の山」 ホーム随筆の庭>四十歳&高幡不動尊


 「不惑」どころか「大惑」の四十歳

西山正義



 明日、四月八日、花まつり(灌仏会)の日は、僕の誕生日である。満年齢でいえば、その前日である今日、満四十歳になったことになる。つまり僕は今日で生まれてから丁度四十年生きたわけだ。数え年の考え方にも一理あって、だから僕は今日から四十歳なのではなく、実はすでに四十年目の人生を生きていて、明日から四十一年目に突入というのが本当なのだ。
 いずれにしろ、不惑というような心境には程遠い。

高幡不動尊の五重塔 今日は仕事で日野市に行った。時間が少しあったので、高幡不動尊に詣でた。関東三代不動の一つで、多摩地区では厄除け・交通安全祈願のお不動さんとして知られる。話題性ということで言えば、新撰組副長・土方歳三の菩提寺と言った方がいいかもしれない。総門からすぐのところに、歳三の銅像や近藤・土方の顕彰碑もある。正式には、真言宗智山派別格本山・高幡山明王院金剛寺というのだそうだ。平日とはいえ、今日は入学式もあり、家族連れもちらほらいて、結構人が出ていた。
 いかにも春らしい麗らかな日和。ソメイヨシノが満開である。しかしここはさすがに山里。ヤマザクラや枝垂れ桜も多く、白っぽいソメイヨシノより赤みを帯びたヤマザクラやシダレが咲く頃の方が壮観かもしれない。街中の桜もいいが、山を背にした桜もまたいい。
 のんびり花見をしている暇はない。最初はそんなつもりはなかったのだが、境内に入った瞬間、折角の機会だから、年初からの懸案だった厄除けをしてもらおうと思い立ったのだ。
高幡不動尊の土方歳三像 厄年は数え年で数えるものだが、その数え方にもどうやら二種あるらしく、男の満四十歳を、前厄とする説と本厄とする二説がある。僕は特に信心深いわけではないが、男の四十は鬼門であるというのは至極納得いく。だから四十の厄除けはしておこうと思っていた。厄除祈願は、本当は新年の松の内までに詣でるのが良いらしいが、気にしていながらとうとう春になってました。
 丁度三時から、奥殿で御護摩修行があり、昇殿参拝できるというので、思わぬところで厄災消除ができた。因みに、この護摩修行(護摩のお炊き挙げ祈祷)は、毎日に二時間おきぐらいに行なわれていて、特に申し出をしなくても昇殿できる。最後に参拝者は、ともに重要文化財である不動明王像、こんがら童子像、せいたか童子像のお膝元まで進んで、この丈六不動三像を間近で拝むことができる。
 それにしても麗らかな日和で、仕事など忘れて、桜咲く広い境内をゆっくり散策したかったのだが、そこまでの時間はなかったので、お釈迦様の小さな可愛らしい像に甘茶をかけて境内をあとにした。


〔初出〕平成15年4月7日「創作の台所(Lycosダイアリー)」

・それから四年後の元旦↓


  高幡不動尊に初詣

西山正義



 初詣に行ってきました。数年前までは、世田谷の病院(or施設)に義母がいたので、六年間ずっと病院近くの松陰神社オンリーでしたが、ここ数年は毎年違う所に。
 昨年は杉並の大宮八幡宮、今年は日野市にある高幡不動尊へ。
元旦の高幡不動尊 どこに行くか直前まで未定で、息子に東西南北どちらがいいと言うと、「西」というので決定。
 多摩地区の人間にはお馴染みの所で、僕などは小さい頃から何度も行ったことがありますが、初詣で行くのは実に久しぶり。
 ここはやっぱり“歳さん”でしょう。新撰組、鬼の副長・土方歳三の菩提寺。参拝、境内散策よりも、西山家の人々にとっては、「新撰組屯所」と称する新撰組グッツ売り場の方が面白かったようで。パソコンデスクのラックに掛けるのにちょうどよさそうだったので、僕は例の有名な土方歳三の肖像写真をプリントした状差しと、息子は刀を模したペーパーナイフ、向山葉子氏は「誠」のチェーン型ケータイストラップ、娘はガチャガチャで芹沢鴨のピンバッチを購入。何をしに行ったんだか……。


〔初出〕平成19年1月1日「短説[tansetsu]ブログ」



「西向の山」ホームへ Copyright © 2003-2011 Nishiyama Masayoshi. All rights reserved. (2011.1.6) 随筆の庭/扉へ戻る