伝説の書籍と言っていい三一書房版の『戦後詩大系』全四巻を揃いで手に入れた。しかも、総革張りの限定三百部特装版である。それを破格の安値で手に入れた。いくらかというのは、もしかしたら売主が後悔するかもしれないのでここでは伏せるが、まあ、今まで長い間売れずにいたわけだから、安値でも売れた方がいいのかもしれないが……。(ブログでは伏せたが、四冊揃いで二〇〇〇円+送料九〇〇円である)。
第一巻は持っていた。いつだったかは忘れたが、おそらく一九九〇年前後に、滅多に行くことのない渋谷の古書センターで見つけたのだ。(一年後輩のS君が國學院の大学院に通っていて渋谷のビルでアルバイトしていた関係で行ったのだったか、民族派の学生で主催していた「新嘗を祝ふ集ひ」を國學院近くの金王八幡宮で行った折だったか)。結構な高値で買ったような記憶がある。五八〇〇円だったか三七〇〇円ぐらいだったか。ともかく、第一巻はどうしても手に入れたかった書籍である。もちろん、ほかではどこにも読むことができない(と思われていた)小川和佑先生の詩が載っているからである。
それから二八年、発行からは実に四八年、今回、四巻揃いでそれよりはるかに安い金額(送料込みでも)だったので、古書店によっては一冊ずつ買えるところもあったのだが、四冊揃えで購入した。実は、商品説明に「特装版」とあったのだが、あまりにも安いので、これは勘違いではないのかと疑っていた。(ネット販売だが、写真はなかった)。しかし並装版でも、普通に見れば上製本なので、それでも良いと思っていた。ところが、本当に特装版だったのである。
編者は、嶋岡晨・大野順一・小川和佑の三人。三人とも私から見れば明治大学文学部の大先輩である。
T ア〜オ:一九七〇年九月三〇日発行
(限定番号・第158番)
U カース:一九七〇年一一月三〇日発行
(同・第165番)
V ス〜ハ:一九七〇年一二月三一日発行
(同・第164番)
W ハーワ:一九七一年二月一五日発行
(同・第168番)
本体菊判、ワインレッド色総革張り、白色クロース装貼函入り。函も並装版とは異なる。小川和佑先生のお宅で見ていたものだ。詩本文の活字は九ポイント、二段組み。
何よりも嬉しいのは、月報も揃っていることである。ほかに三一書房の新刊案内や読者アンケートのはがきまで付いている。ないのは、巻かれていたはずのパラフィン紙ぐらいである。(わずかだけど各巻の函の内側にその痕跡が残っている)。
とすると、つい先日これもネットの「日本の古本屋」経由で手に入れた小川和佑先生の『“美しい村”を求めて 新・軽井沢文学散歩』や『文明開化の詩』などのように、結局のところ読者の手に渡らなかったか、あるいは買われたけど読まれた形跡のない、本としては悲しい末路のいわゆる新古本かというと、どうもそうではないようだ。ぱっと見たところ本に書き込みなどはないのだが、月報の一箇所に赤鉛筆で括弧印がついている。本も開かれた形跡がある。が、月報なども綺麗に揃っていて、誰かが大切に保管していた本だということがわかる。
この大冊の『戦後詩大系』は、並装版でも各巻三〇〇〇円なのであるが、特装版は全巻揃いの予約販売のみで各巻八〇〇〇円、合計三二〇〇〇円もするのである。内容を考えると、決して高くはないのだが、それにしてもこれは一九七〇年、昭和四五年のことなのである。当時、LPレコードが一七〇〇円か一八〇〇円ぐらいしたのだが、相当に高価なものだったのである。並装版でも一冊でLP一枚とシングル盤が三枚ぐらい買えるぐらいしたのだった。
おそらく、この特装版を買ったのは、とりもなおさずここに収録されている詩人たちであろう。一般読者が買うとは思えない。並装版だって、実のところ購入したのは関係者と図書館ぐらいだけだったかもしれない。そもそも詩集なんかみんな持ち出しで出すものであるから、収録されているからといって著者には一冊も献呈されていないだろう。あるいは自分が載っている巻だけはさずがに献呈されたかもしれないが、むしろ特装版を四巻揃いで買ってくれということだろう。限定三〇〇部というのは、すなわち全収録詩人二四一名に相当するというわけだろう。
ということは、このたび私が手に入れた本も、ここに収録されている詩人のものだった可能性が大なのではないか。本を開けられた形跡はある。しかしこの綺麗な保存状態は、著者の一人だからではないのか。もしそうなら、この本を売ることはないだろう。しかし本人ではなく、遺族なら、知らずに(あるいは知っていても)古本屋に処分することもあるだろう。
本の匂いがたまらなくいいのだ。もう泣けてくるほどだ。何かパンドラの匣を開けてしまったような気がする。
さて、肝心の内容であるが、Tの巻頭には、編者代表として嶋岡晨氏の「道標(みちしるべ)」と題された文があり、編集の経緯や意図、方針、凡例などが記されている。それを読んだだけでもエポックメイキングであったことがわかる。
詩人は五十音順に配列されている。各人の分量はほぼ均等である。
Tは「ア〜オ」五二名。五八一頁。
Uは「カ〜ス」六九名。六二五頁。
Vは「ス〜ハ」六五名。六二四頁。
Wは「ハ〜ワ」五五名。六五六頁。
合計二四一名。
Wの巻末には、
○大野順一氏の「戦後詩史序説」(副題・ひとつの思想史的あとづけの試み)と、
○嶋岡晨氏の「戦後詩の展望」(副題――詩壇略地図――)の、
それだけで相当読み応えのある二つの論考があり、これまた例によって大変な労作の、
○小川和佑編「戦後詩史年表」
がある。この年表は凡例を含めて六〇一頁から六五六頁まで及ぶ。そして最後に、
○大野順一氏作成の「戦後の主要詩誌の消長(一九四五〜一九六五)」
が折り畳まれている。ここには四一の詩誌の発行年月が棒グラフで示されていて、非常にわかりやすく展望できる。年表やこうした一覧表は、作ってみればわからが、物凄い労力を必要とする。本当に大変な労作なのだ。
もう一つ私にとって貴重だったのは、各巻に付録としてついていた月報である。私が以前から持っていた第一巻には月報が抜け落ちていた。
月報1(1970・9)
○宗左近「戦後詩とわたし」
○嶋岡晨「夢の周辺」
月報2(1970・11)
○新川和江「戦後詩と私」
○《同人詩誌の編集後記》
(「詩研究」「純粋詩」「FOU」より)
○S・S生「詩神と酒神の棲む所」
○詩友こぼれ話
(@村松定孝 A「マチネ・ポエティック」 B「ゆうとぴあ」、秋谷豊)
月報3(1970・12)
○土橋治重「戦後詩とわたし」
○《同人詩誌の編集後記》(その二)
(「荒地」「列島」より)
○小川和佑「『地球』への回想」
○《編集者の言葉と略歴》
(大野順一〈筆名大野純〉・嶋岡晨)
月報4(1971・1)
○片岡文雄「わが薄明の時代」
○小川和佑「『年表』作製の憂鬱」
○嶋岡晨「編集を終えて」
○『戦後詩大系』第二巻訂正表
なかでも私にとって今回最大の掘出し物は、小川和佑先生の「『地球』への回想」である。『小川のせせらぎ』第二号ではそのままコピーして転載しようと思う。
(※)令和元年六月二〇日、五十嵐正人さんより情報が寄せられ、上記文章がインターネット上に公開されていることが判明しました。詩誌『地球』の主宰者である「秋谷豊公式ホームページ〈秋谷豊資料室〉」内の『「地球」への回想・・小川和佑』に月報そのものが画像として掲載されています。
なお、その画像の末尾に、月報の原本にはない元原稿のタイトルと署名と思われる手書きの画像が貼り付けられていますが、タイトルは「『地球』の回想」となっています。いやこれは、あるいは小川和佑先生が書いたものではなく、秋谷豊氏のキャプション(メモ書き)かもしれませんが。
それにしても、月報には三人の編集者の近影が載っているのだが、みな若々しい。それもそのはずだ。この時、三人ともまだ四十歳になるかならないかぐらいだったのである。あらためて、よくぞここまでの仕事ができたものであると感嘆する。いや、若いからこそできたのか。
因みに生年月日を記せば、
小川和佑・昭和五年(一九三〇)四月二九日
大野順一(純)・昭和五年九月三日
嶋岡晨・昭和七年(一九三二)三月八日
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