金 釦
 
            
向 山 葉 子
 
 この頃の妻は、日を追うごとに美しくなっ
ていくようだ。四十の坂を越えてからという
もの、めっきり老けこんで、憂鬱そうな立居
が目だっていたことなど嘘のようだ。華やい
だ笑顔を取り戻し、娘の頃の肌の張りすら蘇
ってきている。私の中にもしや……という俗
な考えが浮かんできても無理はなかろう。
「いやに念のいった化粧をするね、最近。何
かいいことでもあったのかい」
 私の、こんな探るような言葉にも、妻は艶
然と微笑んで、きっぱりと言いきる。
「私が愛しているのはあなたしかおりません
わ。十九歳の時からずっと」
 そして妻はサイドボードの上に飾られた写
真に目をやる。そこには、十五歳の私と十九
歳の妻とが夢のように微笑んでいる。姉弟の
ように寄り添って。
「あなた、遅れますよ」
 コートを着せかける白い手の優しさに、私
の疑惑はかえって大きくなっていく。会社に
着き、仕事に取りかかろうとしても疑惑が邪
魔をする。次第に私はいてもたってもいられ
なくなった。頭痛がひどいと早退し、私は家
へと取って返した。
 初春の風に白いカーテンがそよいでいる。
私はまるで泥棒のように、そっと家へ忍びこ
んだ。中はしんと静まりかえって、いつもよ
り清潔な空気に満ちている。廊下の隅にきら
りと目を射たもの、それは学生服の金釦だっ
た。私は逆上して、寝室へと階段を駆け上が
った。確かに話声がする。妻と若い男……震
える体を静めて、私は鍵穴から中を覗いた。
妻の細い腕が男の背に回る。学生服、あの学
生服は! その時、男がゆっくりこちらを向
いて、勝ち誇ったように笑ったのだ。その男
は……まぎれもなく十五歳の私だった。
 
 


 
短説「金釦」向山葉子
・初出〔第一七回東京座会〕昭和六二年一月
 
Copyright(C)1987 Mukouyama Yoko.
All rights reserved. (2003.4.19)
 
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