| 令和8年9月21日(月) | ◆小川和佑先生の十三回忌(ご報告を短説で) 〈西山の報告短説に五十嵐さんがすかさず返短説を〉 |
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小川和佑先生の十三回忌を終えて ・ ―「小川ゼミ通信」Vol.61に代えて ・ 西山 正義 ・ 先生の十三回忌の法要から一夜明けた。大 型台風が近づいていて、帰宅直後から雨が強 くなった。昨日も大雨の予報がなんとか小雨 で、法要もお墓参りも無事にできて幸いであ った。一周忌以来、十一年ぶりの宇都宮。 この十一年、電話でしかお話ししていない 奥様。九十二歳である。ひと回りもふた回り も小さくなられたが、一目見て、息災なご様 子、すでに仏様の先生のことより、それが何 よりであった。ゆったりとした上品なお話し 方の、穏やかで優しいお声も変わらずで。 長男Kさんは僕の四つ上、長女Mさんは二 つ下。参集した教え子たちは、年齢順に書け ば(ウェブ上では僕以外はイニシャルで)、 YT、MY、IM、次男Yさんと同い年のN T、AY、西山正義、MY、HT・N夫妻、 |
IS、YT。みなほぼ同世代なのだった。先 生のご子息二人も参加した第一回ゼミ合宿か ら実に四十三年が経っている。 奥様は、香典等の金品をご辞退された。僕 らはお言葉に甘えて手ぶらで行った。六十過 ぎていても、奥様の前では、僕らは相変わら ず学生でいいのじゃないかと思った。 手ぶらの僕らに、それでも奥様は、その合 宿で泊まった日光金谷ホテルの猫サブレを持 たせてくれた。実は昼が予約できず、奥様は 前日の夕方まで気にされていたのだった。直 前に栃木県在住のM君が奔走してくれ、昼の 席は確保された。それを報告し、奥様に安心 していただいた。法要と墓参の後、僕らを会 食に接待だと奥様も疲れてしまうだろう。む しろそれでよかったと思う。 僕は先生の『著書目録』の完結編を何とか 十三回忌に間に合わせ、自宅の仏壇にお供え していただけることになってよかった。きょ うも、先生の本をしみじみ読み返している。 |
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〔初出〕令和8年9月21日15:00〈小川和佑ゼミOB会〉グループLINE「ノート」 |
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| (※オリジナルは固有名詞が実名) | ||
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小川和佑先生著書目録 ・ ・ 五十嵐 正人 ・ 二〇二六年九月二〇日、宇都宮、正行寺に おいて、小川先生の十三回忌が執り行われた。 北上して迫ってくる台風二十五号の影響で、 雨の一日。お墓にお供えを持ち寄り並べるこ とは叶わなかったが、奥様の変わらぬ上品な 仕草のように、穏やかで温かい法要であった。 帰り道、仲間達と思い出を語り合った。 「雨で思い出すのは、先生の最終講義だな」 それは雪の日だった。駿河台キャンパス十 二号館の教室を借りて、学生達が企画した講 義だった。当時は学生運動の生き残りが活動 していて、学内が少し緊張している時期だっ た。その傍らで、僕らは最終講義を聴いたの だ。小川ゼミは、間違いなく学問の場だった。 ゼミOB会をまとめる西山君から、「小川 和佑先生著者目録」の第四回を手渡された。 |
OB会の会誌『小川のせせらぎ』に、彼が連 載していた、その最終回。ついに先生の全著 書の解題が完成したのだ。 大宮駅で西山夫妻と別れ、僕は東武鉄道に 乗り換えた。もらった目録を開くと、懐かし い写真を散りばめながら、先生の著作が解説 され並べられている。以前に連載した解題に ついての増補改訂まで載せられている丁寧な 内容だ。目録の終わりは最後の著作『戦後文 学の回想』ではなかった。その後に次男の靖 彦さんの『詩の読み方』が取り上げられてい る。副題に「小川和佑近現代詩史」。 奇しくも『戦後文学の回想』は、先生の師 である中村真一郎の著作と同名である。 文学は受け継がれ、生きていく。 車窓を叩く雨が強くなった。三月に年金受 給者となった僕は、先生の六十五歳でのお仕 事を思い出そうとした。その頃の著書は……。 やめておこう。そうやって先生の歴史と比べ、 溜息を付くのは。もう、やめにしよう。 |
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〔初出〕令和8年9月21日17:53〈小川和佑ゼミOB会〉グループLINE「ノート」 |
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| 令和8年9月23日(水) | ◆小川和佑先生の十三回忌を終えて�U |
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小川和佑先生の十三回忌を終えて�U ・ ―「小川ゼミ通信」Vol.62に代えて ・ 西山 正義 ・ 本当のところを言うと、先生の十三回忌を 終えたということは、おそらく途轍もなく大 きな節目を迎えたということだろう。 小川ゼミOB会を発足したのは、僕が一年 遅れで大学を卒業した翌年、平成元年である。 それから三十七年。その間、初代ゼミ長であ る僕らよりだいぶ先輩のHMさんが先生より ひと月先にお亡くなりになっているほかは、 僕の知る限り、誰一人欠けていないのだ。先 生は八十四歳まで生き、それから十二年経っ ているのだから、これはけっこう凄いことで ある。正直言うと、二十日の法要に集まった 一人一人の顔を見て、僕は涙が出そうになっ た。よくここまで、集まったものである。 しかし、これからはわからない。雨の中、 宇都宮二荒山神社の高い階段を登ろうという |
蛮勇はもうないのだ。やがては一人欠け、二 人欠けするのである。いや、そんなことは自 然の摂理であるが、欠けていく前に、このO B会にも区切りをつけ、これを機に解散して もいいのではないかと思ったのだった。 僕はとにかく先生の全著書の目録と解題を 完成させた。まだ完璧なものではないが、と りあえず今死んでも悔いはなくなった。その あとがきで、「これでゼミを卒業できるでし ょうか」と書いた。五十嵐正人さんも「先生 の歴史と比べ、溜息を付くのは」「もう、や めにしよう」と書いた。本当は、もうとっく に卒業していたのかもしれない。 家に帰れば、みなそれぞれの日常に戻る。 三日後のきょうは、これからソフトボールの 試合に行く。先生とも文学とも全く関係ない。 だけど、まだ先生の本を読みたい。もっと 読みたい。先生が歩いた所を辿って、追体験 したい。そしてそれをみんなと分かち合いた い。それでよいですか、みなさん! |
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〔初出〕令和8年9月23日14:00〈小川和佑ゼミOB会〉グループLINE「ノート」 |
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| (※オリジナルは「HM」も実名) | ||


| 令和8年9月13日(日) | ■小川和佑先生の十三回忌(一部変更) |
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| 令和8年9月1日(火) | ■小川和佑先生の十三回忌(決定) |
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| 令和8年7月26日(日) | ◆小川和佑先生の十三回忌(予告) |
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◇以下、令和7年9月19日から22日にかけてのやり取りは、上から下へ時系列で配列されています。
| 令和7年9月19日(金) | 小川和佑先生の十二回忌を迎えて 〈第1信〉先生初期の詩人論を二冊ゲット |
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| 令和7年9月19日(金) | 先生命日の前日に、西山正義が短説を配信 〈第2信〉「孫のお宮参りの日に小川和佑先生の本」 |
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孫のお宮参りの日に小川和佑先生の本 ・ (2025.9.16初稿/9.19午前10時配信) ・ 西山 正義 ・ 今年も小川和佑先生のご命日が近づいてき た。仏教でいうところの十二回忌である。 その四日前のきょうは、六月に生まれた初 孫のお宮参りで、妻は息子夫婦とともにもう 一人の祖母と孫を抱いて、京都の安産祈願で 名高い岡�ア神社にお礼参りに行った。その模 様はほぼリアルタイムにLINEで写真が送ら れてきた。よく晴れているようでよかった。 僕は残念ながら東京でその報を待っていた だけであったが、明け番の休養日、小川和佑 先生の本を読み返していた。TBSブリタニ カ『ジュニア版 目でみる日本の詩歌』�Jの 『現代の詩[一]』を。大学の文学部に入り、 最初に接した文学の授業。教養課程の文学で 使われたテキストである。大学で「ジュニア 版」とはと、侮るなかれ。中学生にも解るよ |
うにやさしい言葉で書かれているが、内容は 実に濃く、この本に書かれている近代詩から 現代詩の流れを大学生でも(当時も現在も) 果たしてちゃんと把握できているかどうか。 金曜日の夜の八時半から始まる授業(僕が 通ったのは夜間部である)、小川和佑先生が 情熱的に解析する詩の講義によって、僕は近 ・現代詩の魅力に導かれたといっていい。 大学、それも文学部に入って良かったと思 える授業(と先生)に出会えたのは人生最大 の収穫であった。僕の価値観や思想、そして 人生をも決定的にした〈事件〉であった。 それから四十二年。僕も六十過ぎの爺にな った。しかし、今読み返しても、二十歳のこ ろと同じ気持ちになれる。忘れていたことが 甦る。新しい発見がある。今更ながらやっと 解ってきたというべきか。一文字一文字、じ っくり読み返す。詩っていいな、文学ってい いなと、孫のお宮参りの日にあらためて噛み 締めている小川和佑先生の言葉である。 ・ |
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〔初出〕(初稿)令和7年9月16日/(2稿)同年9月18日「短説ブログ」 |
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| 令和7年9月19日(金) | すると、すかさず五十嵐さんから返信が、それも短説で! 〈第3信〉五十嵐正人「山寺にて」(仙台駅よりメール) |
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山寺にて ・ (2025.9.19午後1時25分返信) ・ 五十嵐 正人 ・ 全国障害者グループホーム山形大会を終え て、僕は立石寺に寄り道をすることにした。 仙山線を山寺駅で下車し、登山道入口に立 つと、石段がそびえていた。一緒に暮らして いる裕子さんと、僕は毎日のように百段ほど の階段を歩いている。身体障害を持つ彼女の リハビリだ。だから自信はあったのだが、都 市の階段と山の石段では勝手が違う。根本中 堂に着いたところで、もう息が切れていた。 手を合わせて、みんなの健康を祈る。裕子 さんと、もう一人一緒に暮らす弓子さんは、 近年それぞれに大病を経験していた。二人と ともに留守番をしている家内だけが健康で、 僕も一昨年は救急車の世話になっていた。 スマホで写真を撮りながら登り続けている と、メールが届いていることに気がついた。 |
西山君からだ。明日は小川先生のご命日。西 山君らしく、短説作品での便りだった。 仁王門にたどり着くと、路端に小さな案内 板が。登山道入口から640段の表示。息は あがり、足があがらなくなってきたところで、 自分の年齢を暗示させる数字。僕は可笑しく なった。帰りの仙山線と東北新幹線の中で熟 睡すればいい。今はとにかく登り続けよう。 そして山頂売店では840段の案内板。先 生がご逝去された年齢ではなかったか。と、 するなら西山君からのメールを受けたのは2 00段のあたりだったのかもしれない。 ついに立石寺奥之院まで登りきり、あらた めてみんなの健康を祈念する。 久しぶりに、短説を書いてみたくなった。 西山君への返信だ。どうやらまだ眠らせては もらえそうにない。仙台までの乗車中に書き 切れるだろう。そして新幹線に乗ったら、僕 は眠らずに宇都宮で目を閉じるのだ。 さあ、山を降りよう。帰ろう、我が家へ。 ・ |
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〔初出〕令和7年9月21日(日)〈小川和佑ゼミOB会〉グループLINE |
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| 令和7年9月20日(土) | 小川和佑先生十二回忌のご命日に 〈第4信〉640段、840段の案内板、その証拠写真 |
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「仁王門」登山口から640余段、「山頂売店」登山口から840余段の案内板
五十嵐正人さん撮影(2025.9.19)
| 令和7年9月21日(日) | 小川和佑先生の供養に 〈第5信〉立石寺の登山口と奥之院 |
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宝珠山立石寺(通称「山寺」)は、貞観二年(860)天台座主第三世慈覚大師円仁によって創建。
左:登山口|右:奥之院(正式には「如法堂」)/五十嵐正人さん撮影(2025.9.19)
(山形県山形市山寺4456-1)
| 令和7年9月22日(月) | 小川ゼミOB会のLINEグループにて 〈第6信〉先生と孫と山寺と僕たち:短説には短説を |
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令和7年9月19日〜22日:小川和佑先生の十二回忌をめぐって |