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小川ゼミ通信2003 令和7(2025)年〜


◇以下、令和7年9月19日から22日にかけてのやり取りは、上から下へ時系列で配列されています。


令和7年9月19日(金)  小川和佑先生の十二回忌を迎えて
 〈第1信〉先生初期の詩人論を二冊ゲット

 
「小川ゼミ通信」Vol.52
 
 明日9月20日は、小川和佑先生のご命日です。仏教では十二回忌になります。月日の経つのが年々早く感じられます。
 昨年は没後十年ということで、「爽やかな五月に」浦和別所沼の立原道造風信子荘〈ヒヤシンスハウス〉の見学会と、九月に第二回先生を偲ぶ会を開催し、参加された方とは旧交を温めることができました。
 
 偲ぶ会に先立っては、『小川のせせらぎ』第3号も発行でき、その偲ぶ会では3号で発表した五十嵐正人さんの「先生の小説―発掘経緯と若干の仮説」について、ご本人の五十嵐さんに熱く語っていただきました。
 さらに、同じく3号に掲載した先生の貴重な短説作品『澄江堂』シリーズ四部作を、朗読を勉強している西山葉子さんが朗読をし、充実した会になりました。
 今年は残念ながら集まりを計画できそうにありません。ですので、私から近況のメールを送ります。
 
(※なお、メインで使っているパソコンが故障し、予備のPCでウェブ上のメールソフトから送っていますので、漏れがあるかもしれません。と、ここで言っても、漏れている人には通じていないわけですが、メールアドレスを公開の形で送りますので、お気づきの点がありましたら、ご連絡お願いします)
 
 さて、昨日届いたのですが、先生の初期の著作二冊を手に入れました。
・1971年9月刊行『優しき歌 立原道造の詩と青春』(現代教養文庫732)
・1972年2月刊行『三好達治の世界』 (潮新書81)
 それぞれ別の書店ですが、ネットの「日本の古本屋」経由で購入。
 
『優しき歌』はやはり同サイトで以前手に入れて、『著書目録』にも詳細をアップ済みですが、今回の二冊目は著者謹呈の署名入りという、いわく付きのものです。
『三好達治の世界』の方も、のちに『増補改訂 三好達治研究』という大著に吸収されている(と推測されていた)ものですので、内容はほぼ分かっているのですが、やはり一冊の本として持っていたいのと、異動がないか確認のため。
 
 それから、もう一つ、まったく個人的な話なんですが、小川先生に関係していますので、この「ゼミ通信」の場を借りて送ります。長くなりますので、別便で。
 
小川和佑ゼミナールOB会事務局:西山正義
 



令和7年9月19日(金)  先生命日の前日に、西山正義が短説を配信
 〈第2信〉「孫のお宮参りの日に小川和佑先生の本」

 
「小川ゼミ通信」Vol.53
明日9/20は小川和佑先生のご命日(の第2信です)
 
 それで、何事かと言いますと、全く個人的なことで恐縮なんですが、こんな短説を書きました。
 短説といっても、四百字詰め原稿用紙二枚の短説の形式に当て嵌めただけの、とても「創作」とはいえない、個人的なメモリーとして書いているもので、お恥ずかし限りなのですが、臆面もなく送っちゃいます。
 



  孫のお宮参りの日に小川和佑先生の本
・    (2025.9.16初稿/9.19午前10時配信)
             西山 正義

  今年も小川和佑先生のご命日が近づいてき
 た。仏教でいうところの十二回忌である。
  その四日前のきょうは、六月に生まれた初
 孫のお宮参りで、妻は息子夫婦とともにもう
 一人の祖母と孫を抱いて、京都の安産祈願で
 名高い岡ア神社にお礼参りに行った。その模
 様はほぼリアルタイムにLINEで写真が送ら
 れてきた。よく晴れているようでよかった。
  僕は残念ながら東京でその報を待っていた
 だけであったが、明け番の休養日、小川和佑
 先生の本を読み返していた。TBSブリタニ
 カ『ジュニア版 目でみる日本の詩歌』Jの
 『現代の詩[一]』を。大学の文学部に入り、
 最初に接した文学の授業。教養課程の文学で
 使われたテキストである。大学で「ジュニア
 版」とはと、侮るなかれ。中学生にも解るよ
 

 
 うにやさしい言葉で書かれているが、内容は
 実に濃く、この本に書かれている近代詩から
 現代詩の流れを大学生でも(当時も現在も)
 果たしてちゃんと把握できているかどうか。
  金曜日の夜の八時半から始まる授業(僕が
 通ったのは夜間部である)、小川和佑先生が
 情熱的に解析する詩の講義によって、僕は近
 ・現代詩の魅力に導かれたといっていい。
  大学、それも文学部に入って良かったと思
 える授業(と先生)に出会えたのは人生最大
 の収穫であった。僕の価値観や思想、そして
 人生をも決定的にした〈事件〉であった。
  それから四十二年。僕も六十過ぎの爺にな
 った。しかし、今読み返しても、二十歳のこ
 ろと同じ気持ちになれる。忘れていたことが
 甦る。新しい発見がある。今更ながらやっと
 解ってきたというべきか。一文字一文字、じ
 っくり読み返す。詩っていいな、文学ってい
 いなと、孫のお宮参りの日にあらためて噛み
 締めている小川和佑先生の言葉である。

〔初出〕(初稿)令和7年9月16日(2稿)同年9月18日「短説ブログ」

 
お粗末様でした。それでは、みなさまお元気で!
西山正義
 



令和7年9月19日(金)  すると、すかさず五十嵐さんから返信が、それも短説で!
 〈第3信〉五十嵐正人「山寺にて」(仙台駅よりメール)

 
 上記「小川ゼミ通信」Vol.53のメールを配信したのは、令和7年(2025)9月19日の午前10時きっかりでした。それからわずか3時間25分後の午後1時25分に、五十嵐正人さんから「今、仙台駅です。」とメールが送られてきました。そこには、「返し」の短説が!
 



    山寺にて
・     (2025.9.19午後1時25分返信)
            五十嵐 正人

  全国障害者グループホーム山形大会を終え
 て、僕は立石寺に寄り道をすることにした。
  仙山線を山寺駅で下車し、登山道入口に立
 つと、石段がそびえていた。一緒に暮らして
 いる裕子さんと、僕は毎日のように百段ほど
 の階段を歩いている。身体障害を持つ彼女の
 リハビリだ。だから自信はあったのだが、都
 市の階段と山の石段では勝手が違う。根本中
 堂に着いたところで、もう息が切れていた。
  手を合わせて、みんなの健康を祈る。裕子
 さんと、もう一人一緒に暮らす弓子さんは、
 近年それぞれに大病を経験していた。二人と
 ともに留守番をしている家内だけが健康で、
 僕も一昨年は救急車の世話になっていた。
  スマホで写真を撮りながら登り続けている
 と、メールが届いていることに気がついた。
 

 
 西山君からだ。明日は小川先生のご命日。西
 山君らしく、短説作品での便りだった。
  仁王門にたどり着くと、路端に小さな案内
 板が。登山道入口から640段の表示。息は
 あがり、足があがらなくなってきたところで、
 自分の年齢を暗示させる数字。僕は可笑しく
 なった。帰りの仙山線と東北新幹線の中で熟
 睡すればいい。今はとにかく登り続けよう。
  そして山頂売店では840段の案内板。先
 生がご逝去された年齢ではなかったか。と、
 するなら西山君からのメールを受けたのは2
 00段のあたりだったのかもしれない。
  ついに立石寺奥之院まで登りきり、あらた
 めてみんなの健康を祈念する。
  久しぶりに、短説を書いてみたくなった。
 西山君への返信だ。どうやらまだ眠らせては
 もらえそうにない。仙台までの乗車中に書き
 切れるだろう。そして新幹線に乗ったら、僕
 は眠らずに宇都宮で目を閉じるのだ。
  さあ、山を降りよう。帰ろう、我が家へ。

〔初出〕令和7年9月21日(日)「小川和佑ゼミOB会」LINEグループ

 
今、仙台駅です。
五十嵐正人
 



令和7年9月20日(土)  小川和佑先生十二回忌のご命日に
 〈第4信〉640段、840段の案内板、その証拠写真

 
 それから、五十嵐さんと西山の間でこんなやり取りが。
−−−−−−−−−−
昨日はゼミ通信を送るだけ送って、そのあとパソコンからずっと離れていたので、いま読みました。リアルタイムに気付かずに申し訳ありませんでした。スマホから短説での返信嬉しかったです!ありがとうございます。宇都宮を通ったのですね!
ゼミ通信は奥様と和彦さんにも送りました。 奥様からのお返事です。/西山
--------------------
お久しぶりです。メールありがとうございます。明日は11年の命日、そんなに月日が過ぎたのだとあらためて思います。その間、西山夫妻始めOB会の皆様の想い、故人にも通じることでしよう。ありがとうございます。
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−−−−−−−−−−
はじめてフリック入力で創作しました。むかし、嵐山ではパソコンを持参しての探題でしたが、今はスマホでOK。この時代に短説の運動があったなら、などと思いました。お送りした作品は、偶然の産物です。山寺の登山道の途中、数ヵ所に段数表示があったのですが、偶然640段と840段の表示が。西山くんからのメールを読んだ後だったので、スーッと作品が降りてきました。/五十嵐
−−−−−−−−−−
640段と840段、偶然だったんですか? こりゃあ作ったんでしょうと思いました。立石寺には行ったことがありません。ネットで見てみます。 メーリングリストはすっかりすたれて、サービス自体がなくなりましたが、今ならLINEでも座会ができますね。/西山
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偶然に驚いて、写真を撮ってしまいました。「小川のせせらぎ」第4号、作業が大変と思いますが、楽しみにしています。/五十嵐
 


「登山口から640余段」五十嵐正人撮影(2025.9.19)「登山口から840余段」五十嵐正人撮影(2025.9.19)

「仁王門」登山口から640余段、「山頂売店」登山口から840余段の案内板
五十嵐正人さん撮影(2025.9.19)


令和7年9月21日(日)  小川和佑先生の供養に
 〈第5信〉立石寺の登山口と奥之院

 
ありゃ!本当だ! これ、作品を写真付きでアップしたいなあ! 僕だけが読んでいるの勿体ないです!/西山
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お任せします。
作品に出てくる、登山道入口の写真を添付します。本文には入力ミスの箇所があるので、のちほど、修正したものを送ります。/五十嵐
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山寺のホームページ見ました。よくよくは知りませんでした。凄いですね。では、小川ゼミのグループLINEにアップさせていただきますね。/西山
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修正したものを送ります。写真は奥之院です。疲れきっていて、スマホを真っ直ぐ構えられませんでした。 以下、修正版… 山寺にて/五十嵐
 


「立石寺(山寺)登山口」五十嵐正人撮影(2025.9.19)「立石寺(山寺)奥の院」五十嵐正人撮影(2025.9.19)

宝珠山立石寺(通称「山寺」)は、貞観二年(860)天台座主第三世慈覚大師円仁によって創建。
左:登山口|右:奥之院(正式には「如法堂」)/五十嵐正人さん撮影(2025.9.19)
(山形県山形市山寺4456-1)

令和7年9月22日(月)  小川ゼミOB会のLINEグループにて
 〈第6信〉先生と孫と山寺と僕たち:短説には短説を

 
山寺を登っている最中に西山君から届いた短説メール。その時は鑑賞させてもらっただけで石段を登り続けていたのですが・・・。
僕の年齢を暗示する640段の案内板。さらに登ると840段の案内板が。これはもう、西山君には短説で返信しなければと。
奥之院まで登りきって、下山して。寝て帰るはずだった仙山線で書きました。
旅先で写真代わりに短説を書いたり、手紙を短説で書いたり、そうしたことは経験があったのですが、それは何年も前のこと。久々の短説で、しかも初めてのフリック入力での作品作り。考えられないミス(「に」に濁音を付けていたり)をしたまま、下車した仙台駅で西山君に送信しました。
西山君から公開の打診をいただいたので、ミスの修正をさせてもらいました。
めでたし、めでたし。/五十嵐正人
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仙台在住時、仙山線で行ける山寺駅は、友達との小旅行にも、歴史デートにもよろしい距離でありました。手摺がないので、落ちても不思議じゃない場所。嫌いになった彼氏は、ここから突き落とすのもまた一興。色んな意味で、まさに修業の場ですね。この歳になると、坂道はすべて修業ですけどね。お疲れ様でした〜!/西山葉子
 

令和7年9月19日〜22日:小川和佑先生の十二回忌をめぐって
編集:令和8年6月18日(ポール・マッカートニーの84歳誕生日に)



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