永遠の少女・
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桃の花咲くころ、堀内幸枝さんからお電話(平成15年3月27日・木) 先日、詩人の堀内幸枝さんから電話があった。氏からの電話はいつも突然だが、忘れた頃に、必ずと言っていいほど電話や便りがあり、もう十年近くこうした付き合いが続いている。 今回の用件は、関西の出版社から出ている詩マガジン「PO」の次号「特集 ふるさと」に、堀内さんが寄稿を求められたのだそうだが、そこへ、かつて明大の小川和佑ゼミナールで出した(実際に小冊子の形にまとめたのは堀内さん自身)『堀内幸枝詩集 研究論集』の一部を転載しても良いかということだった。 日時:4月5日(土) これは残念ながら、ほかに予定があり、今回は行けない。二年半前、詩人の井本節山君とはじめて「桃の花会」に出席した。出席したというより、参加したといった方がいいかもしれない。音楽家や声楽家は、堀内さんの歌曲を唄い、または伴奏し、詩人は自作の詩を朗読した。自己紹介代わりというわけだ。 堀内幸枝さんからの電話はいつもびっくりさせられるのだが、それにしても、受話器を耳からちょっと離したくなるくらい大きな、そして息を弾ませた、その甲高く響く声は、相変わらず「少女」のようだった。もう八十三歳である。 ここに、堀内さんの、純朴でありながら早熟でもあった「山の乙女」らしい春の詩をひとつ転載させていただこう。 春の雲 早春の田圃の黒く湿つた麦畑の上を (詩集『村のアルバム』より――底本は土曜美術社版「日本現代詩文庫35 堀内幸枝詩集」一九八九・九) |
〔初出〕平成15年3月28日「創作の台所(Lycosダイアリー)」 |
おきざりにされたまゝの少女(平成22年3月22日・月) それから七年、音信が途絶えている。この春上記のエッセイを発掘してふと思い出したのだが、インターネットで調べるのが怖くもあった。堀内幸枝さんは大正九年(一九二〇)のお生まれ……。 まだこの全詩集は手にしていないのだが、この度、詩集としては六番目の、しかし『村のアルバム』に直結する詩集『村のたんぽぽ』を読んだ。 …… …… …… だのにこの変化についてこない 初出は不明だが、おそらく詩誌『葡萄』に一九六〇年代後半から七一年頃までに発表されたものだろう。小川和佑先生の『詩の妖精たちはいま』(昭和四十七年十月・潮出版社刊)に、「近作」として言及があり、『村のアルバム』の世界に次ぐ「新しい詩境を見せた」と評されている。 |
〔初出〕平成22年3月22日「西向の山」(このページ) |
僕の創作記念日に、堀内幸枝さんへお手紙(平成24年9月20日・木)今日は僕にとって、ある大切な記念日だった。ということも、近年では特別に意識することもなくなっていたのだが……。 手紙を書いた。 初めてお会いしてから二十五年が経っている。いつも電話だった。ご本人から直接お便りをいただくのは初めてかも。 僕がかつて(平成十五年に)ウェブ日記に書いて、平成二十二年に加筆のうえホームページに転載してあった文章、(すなわち、このページなのだが)、それが今頃になって目に留まったらしい。 そんな、三十四年目の僕の「創作記念日」。 何度でも言おう。堀内幸枝さん、いつまでもお元気でいてください。 |
この稿、「葡萄の季節に、堀内幸枝さんの詩誌『葡萄』」へつづく。 |