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いくつかの歌人伝をめぐって

西山正義



 出版されたのは平成十六年の十一月だが、僕が見つけたのは翌年一月十八日。市立図書館の新しく入った本のコーナーに並んでいた。おや、と思い手に取り、即借りて、一気に読んだ。勉誠出版から出た中島美千代著『夭折の歌人 中城ふみ子』である。
中島美千代『夭折の歌人 中城ふみ子』カバー こういう本は、それが新刊で出たのであれば、本当は買ってあげなければいけない。図書館で見つけてしまったのが運の尽きで、もし書店の店頭なら、二五〇ページの単行本としては多少高く感じても、買っていただろう。いや買わなければいけない。

 中城ふみ子といえば、小説の久坂葉子とともに、僕が秘かに愛している二大“アイドル”の一人である。(因みに、戦前の僕の二大アイドルというか、偏愛の対象は、尾崎翠と伊藤野枝である。え? どういう取り合わせ!)
 久坂葉子が小妖精であるとすれば、中城ふみ子はまさに「女」であった。二人は、まだ戦後と呼ばれていた時代の一時期を、猛スピードで駆け抜けた。
 しかし、久坂葉子はどこまでもマイナー・ポエットで、自ら命を絶ったのに比して、中城ふみ子は、その登場から死まで、そしてその後も、その歌と存在は、中島氏が言うように一つの「事件」であり、一世を風靡した。
 今となっては、風靡したというより、現代歌壇を変革したという文学史的意義で正統に評価されるものであるが、当時は、歌壇のみならず一般の衆目も集め、むしろスキャンダルであった。(といっても、それは僕が生まれる前の話なので、文献でしか知らないのだが)
 昨二〇〇四年は、中城ふみ子没後五十年であった。当時「短歌研究」の編集長であった中井英夫が企画し、選者も務めた「五十首詠作品募集」の一等当選作として、「乳房喪失」四十二首が発表されたのは、昭和二十九年四月。その死は、それからわずか四ヶ月後。
 死後すぐに出版された、臨終間近を取材した時事新報社の若く野心的な記者・若月彰が書いた『乳房よ永遠なれ』が、中城ふみ子の世間的な評価を大きく狂わせ、“ふみ子伝説”をスキャンダラスにし、好色な誤解を生む基になったといっていい。しかし、昭和三十年代以降の日本は、国中が大忙しで疾走していたから、世間的にはすぐに忘れられた。
 それを甦らせたのが、約二十年後に書かれた渡辺淳一の『冬の花火』。現在では、『冬の花火』のヒロインとして認知されていると言った方がいいだろう。死後わずか一年三ヶ月後には、『乳房よ永遠なれ』が日活で映画化され大ヒットしたらしいが、これはもはや現在ではまず目にすることはできないし、若月彰の原著もよほど大きい図書館で探さない限り読めないから。
  しかし『冬の花火』は、評伝的な事実を踏まえながらも、あくまでも「小説」であって、評伝でも作家研究でもない。当然小説的な脚色もある。どの辺がどういう風に脚色されているかということよりも、いい悪いは別にして、『乳房よ永遠なれ』にしても、問題は、男の視点から描かれていることだろう。
 中島美千代さんの『夭折の歌人 中城ふみ子』は、それを是正するものであり、賛美にしろ悪評にしろ、いわば勝手な幻想が先走った、さまざまな“ふみ子伝説”のベールを剥ぎ、歌人の実相に迫ろうというものである。
 ともかく彼女は素晴らしい歌を残した。それがすべてである。それが身振りの大きい、多少自己演出的なところがあったとしても、それを含めてそれが彼女のすべてである。
 実際問題、彼女と同じように壮絶な闘病生活の末、あるいは流転の生涯の果てに、若くして死んでいった無名の歌人・詩人・俳人・作家はいっぱいいると思うのだ。いや、その方が多いだろう。多くの彼ら、彼女らは、身内や小グループ以外に作品を世に残すこともなく、生きていたという事実も知られないまま死んでいったのだ。現在も、そしてこれからもそれは変わらない。
 それを思うと、中城ふみ子は仕合せ者だとも思えるが、最終的にはすべては作品である。たとえどんなに苛烈な人生を歩もうとも、その人生や人間性が素晴らしくても、芸術家・表現者である以上、作品だけが物を言う。それが恐ろしくも過酷な現実である。死後五十年も経って、こうしてまた語られるのは、中城ふみ子の生涯が数奇に満ちていたという人間的な興味によるのではなく、第一にその作品が現在でも光芒を放っているからに他ならない。 

 僕は短歌については門外漢である。中城ふみ子の全作品を読んでいるわけでもない。ほかにも名歌はたくさんあるだろうし、捨てがたい作品もある。が、最後に、個人的にぐっときた歌を挙げておく。

絢爛の花群のさ中に置きてみて見劣りもせぬ生涯が欲しき
――中城ふみ子


〔初出〕平成17年1月22日「短説[tansetsu]ブログ」


 このところ(平成十七年一月現在)、詩や短歌の本ばかり読んでいる。正確に言うなら、詩論や歌論、歌人論やそれに類した本。思潮社の「詩の森文庫」は年末に第一弾が十冊配本になったが、すでに半分読んだ。
 先週は中島美千代氏の『夭折の歌人 中城ふみ子』に続いて、渡辺淳一の『冬の花火』を再読した。中島氏は、この本のふみ子像には不満があり、好きではないと言っているが、私はそんなことはないと思った。もちろんあくまでも小説として書かれていて、恣意的にイメージを膨らませているところはあるだろうが、そんなに逸脱したものとは思われない。少なくとも愛惜を込めて書かれており、さすがに読みごたえ十分であった。
 今、中城ふみ子を世に送り出した、一方の中井英夫の歌論集を読んでいるのだが、その前にもう一冊読んだ本を。
 これも図書館で偶然見つけた。金澤聖という人が書いた『姦通の罪 白秋との情炎を問われて』というもの。平成十年九月に文芸社から出た本、ということは自費出版かそれに近い形で出たものであろう。著者は文学研究家ではなく、元新聞記者。報道部で事件や司法を担当していたらしい。
 明治四十五年七月、若き北原白秋と隣家の主婦・松下俊子が姦通罪で起訴された、世に言う「桐の花事件」について書いた本。しかし、事件の経過やその他司法に関わる部分を書いたところはいいのだが、本の題名と前文でうたっていることと、終末での論旨がどうもちぐはぐで、(いや、ちぐはぐではないのかもしれないのだが、それなら最後の結語はなんなのだろうという)、最終的に何が言いたいのかよく分からない本である。この人にはおそらく新聞記者としての矜持があるのだろうが、いかにも新聞記者臭い文章はとても読めない。少なくとも読んでいて気持ちのいいものではない。起訴その他に関する法律的な部分に言及しているところはいいのだが、当事者以外知り得ないことまで、こういう書き方をされてしまうと、まるでそこで見ていたかのように、すべて事実こうであったかの如く思われてしまう。実際には、本人の後日談や各種証言などから、ある程度こうであったろうということは言えても、あくまでも「類推」の域を出ないものもある筈なのだ。それがこう書かれてしまうと。実に、新聞報道にもこういうことがあるのではないか。だから私は新聞(テレビ等のニュース含めいわゆる報道)というものが嫌いなのだが。
 詳しいことは省くが、この本によって、白秋・俊子の、そもそも姦通罪の起訴自体が違法、あるいは起訴の訴え自体に違法性があるということはよく分かった。著者もそれが言いたかったわけだが、それならその部分に的を絞って検証すればいいのに、最終に来て妙な具合になる。題名の意味するところも忖度しかねる。なんとも後味の悪い本であった。
(断るまでもないだろうが、これは批評であって、中傷の類ではない。ブログはすぐに検索に引っかかるからなあ。起訴の違法性云々についての言及は、おそらく過去にこういう方面から論じた人はいなかったろうと思われるので、興味深く読んだということだけは言っておこう)
 さて、本当は今回、本題にしたかったのは、中井英夫が六十年代初頭に書いた「現代短歌論」の中に、小説や詩の現在にも通ずる問題点が書かれてあったので、引用しようと思ったのだが、それはまたこの次に譲る。
(→「中井英夫の「無用者のうた」論から「暗黒の井戸」論議


〔初出〕平成17年1月30日「短説[tansetsu]ブログ」



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