評論 《短説逍遥 (20/21)》 「盆まつり」の読み方
*田舎の風俗を回想して
少年時代、私の故郷では、集落ごとに、盆櫓(ぼんやぐら)を組み、その周りで輪踊りを深夜までした。私も高校時代の中頃から、地域の若衆組に入って、三年間ほどこうした催しに参加した。
いい体験だったと今になってしきりに思う。教科書で習う江戸時代の風俗がそこにはまだいきいきと残っていた。恋らしい恋をしたのもその時だった。まだ相手に告白もしないうちに、その思いは母親の知るところとなって、たいへん遠回りに、その恋が認めにくいことを説教され、足踏みしてしまった。不幸な出来事だった。いまだ尾をひいているのを感じる。
夏には利根川の草地が、集落ごとの入り合い地になって、自由に草刈りができた。早朝、まだ薄暗いうちから、若い男女が川原につどって草を刈る。幼ななじみのA君は、白い腰帯を結んでいた。彼に思いを寄せる少女から贈られたものであった。少しく嫉妬を感じたが、友情は友情だった。
向山さんの「盆まつり」は、そんな回想を私から引き出した。
*地獄の蓋の開く日から
お盆の行事は八月一日にはじまる。この日を「釜蓋朔日(かまぶたついたち)」という。また「八朔(はっさく)」ともいう。八朔とは八月朔日(一日)の略である。ところによって「八朔一日」というところもあるが、それでは「正月元旦」の類いで、間違いである。もっとも「釜蓋朔日」は本来旧暦七月一日のことであった。したがって八朔とはぜんぜん別のものであった。八朔というのは、徳川家康が天正十八年八月一日に江戸へ入ったことを記念する日である。お盆とは関係がなかった。ところが、新暦の採用で、農耕の仕事と暦が合致しなくなった。しかたなく農村では、月遅れで行事をするようになった。つまり古来七月一日にしていた行事を八月一日にするようになった。新暦の七月にお盆の行事をしたのでは、まだ田の草取りの真っ最中で、先祖さまなどかまってはいられなかったのである。ここから、意味のとり違えと、混乱が生じて、「八朔一日」などという誤りが一般に通用するようになったのだろう。
釜蓋一日とは、つまり、旧暦七月一日のことであった。この日地獄の釜の蓋が開いて、百万憶土の焦熱地獄にあえいでいた亡者たちが、許されてこの世に帰るしたくをはじめる。
この日サトイモ畑に行って、地面に耳をつけると、蓋の開いた地獄の余熱がこの世の地面にまで伝わってきていて、あたたかく感じられるという。また、この世に戻る亡者たちが、喜びのためにざわざわと騒いでいるのが聞こえてくるともいわれている。
こうして亡者たちが地獄を出発するこの日に、この世では、仏を迎えるため、盆ゴザをつくるマコモを刈ったり、用意をしはじめるのだ。釜蓋朔日とは、本来そういう日だったのである。
地獄に落ちても、年に一度こうして解放され、子孫の住む家に戻ってこれる者は幸いである。世の中にいたとき子がいなくて、あるいは子に死なれ、身よりを失って、帰るべき家のない亡者もいる。そいう亡霊を無縁仏という。
思えば私なども、子がいないから、やがてはこの帰る家のない仏の一人になる。そういう亡者のために、家々の盆棚の下には、もう一つこっそりと膳が置かれるのがならわしだった。楽しそうに戻って行く家のある亡者にふらふらとくっついてきてしまう者のために、余分の一膳を用意してやるのである。いずれ私もそういうお膳のご馳走を食うことになるだろう。
向山さんの「盆まつり」で、バッパが「お盆だからいいべや」と、孫娘の着物をだましとった少女を泥棒として追わず、警察にも訴えないのは、その少女をあわれな無縁仏の一人として尊んでいるからなのだ。
八月十六日、もとは七月十六日にこの盆棚をこわし、ご馳走をマコモのツトにくるんで川に流す。これを精霊船といい、その行事を施餓飢という。意味は同じである。こうした行事の中で人は、生きている自分自身と、亡者たちの慰めのために踊り狂う。……そんな一夜の出来事なのである。
〔初出〕平成11年(1999)12月号/平成12年(2000)1月号「短説」
〔再録〕第1期WEB版「短説」平成12年桜花号(2000.4.7)
水南版「短説百人一首 1人目」*向山葉子「盆まつり」
作者の書く短説は、いろいろな種類の幻想物と、娘さんと息子さんを中心にしたファミリーものに大別される。なかには、この両方がまざりあった「コッキョウ、マタハ、カイノマチ」という名作もある。しかし僕が選ぶなら、「盆まつり」だ。
1999年7月の東葛座会で発表され、『月刊 短説』には1999年10月号の巻頭集に掲載。さらに、同年12月号の「短説逍遥」で芦原さんがとりあげ、2000年5月号の年鑑特集号では1999年の天位として3たび掲載された。『日&月』の2000年夏号にも載っているので、作品の説明は必要ないだろう。もっとも有名な短説の一つであることは間違いない。
さて、僕がこの作品を向山作品の代表作に選んだのは、単に僕自身の好みからだけではない。「短説逍遥」で芦原さんが書いているように、この作品世界は、読者にそれぞれの郷愁を思い起こさせる。それは作者自身にとって、作品が深く過去に根ざしたものである明かしだろう。料理でいうなら、いつもメインの食材である、幻想や、子供達の部分が、作者自身の過去になっているのだ。
では、いつものメインの素材はどこにいったのか? 作品の持つ独特な雰囲気。そして登場する少女達の生き生きとした描写。そう、この作品においては、作者が使い慣れているメイン素材を、あえて隠し味に使っているのだ。だから、誰もが普遍的なテーマを描いていても、向山作品としての色合いは、まるで薄れてはいない。考えてみると、贅沢な作品だ。
僕自身が幻想ものと、私ものを、別々の人格にしなければ書けないことを考えると、作者の、それらを隠し味にして融合させる技術は、正直羨ましくもある。
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From: "水南 森"
To: <tansetsu@mlc.nifty.com>
Sent: Sunday, September 09, 2001 4:26 PM
Subject: [tansetsu.353] 水南版「短説百人一首 1人目向山葉子」
(2003.5.3-2010.2.28) | |||||
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