短説と小説−「西向の山」 ホーム短説の部屋短説批評「盆まつり」論ML座会評(1)/ML座会評(2)

向山葉子短説「IF」(のち改題「いつもの道」)
〈ML座会評〉

To: <tansetsu@egroups.co.jp>
Sent: Friday, March 14, 2003 12:57 AM
Subject: [tansetsu] 作品「IF」向山葉子


From: "水南 森"
To: <tansetsu@egroups.co.jp>
Sent: Saturday, March 15, 2003 12:12 AM
Subject: Re: [tansetsu] 作品「IF」向山葉子


葉子さん、「IF」拝読いたしました。

 最悪のシナリオというのは、どうしても想像したくないものです。そのために、思ってはいてもなかなか作品にはできないものです。そんなこんなで、これから起こりうる未来について、その最悪のシナリオをしっかりと書いている姿勢が、何よりも素晴らしいと思いました。

 僕が学生の頃、国際ペン大会が東京で行われました。僕は小川和佑先生に機会を作っていただいて、その会場にいて、実際の講演などを聞くことができました。
 大会の主たるテーマは、「反核」でした。これについて、アメリカの作家、カート・ボネガットが、「核時代における文学者のカナリア理論」ということを発言していました。炭鉱労働者は、空気が悪くなる危険に備えて、カナリアを連れて炭鉱に入るというのです。人間よりも敏感なカナリアは、酸素が減ってきたり、有毒なガスが出てきたりしたときに、人間よりも先に卒倒し、その危険を知らせてくれます。
 この炭鉱におけるカナリアの役割を、現在の社会では、文学者がその感性によって行えるのではないか。つまり、核戦争のような危機が迫って来たときに、誰よりも早く文学者は卒倒することで、みんなに危険を知らせることができるのではないか。そんな内容だったと思います。

 さて、そしてイラクと北朝鮮という危機が(アメリカという危機も)見えつつある現在、あの時にカート・ボネガットに共鳴した日本の作家のいったい何人が卒倒しているのでしょうか。
 そんな作家は、一人も見当たりません。これはつまり、作家の感性が、カナリアのそれよりも衰えているということなのか、あるいはイラクも北朝鮮もアメリカも、さほど危険ではないので卒倒する必要がないのか・・・。
 そんなことを考えている時に、この作品を読んだわけです。
 本当は、「核時代における母親のカナリア理論」というのが、正しかったのかもしれません。

 感性の問題は別にしても、今のように速いスピードで危機がやってくる時代には、現実問題として小説家が卒倒する暇はないかもしれません。何百枚という作品を執筆することで卒倒し、それを出版している間に、ミサイルは飛んできているかもしれないわけですから。
 そんな意味でも、短説という形と、インターネットというツールは、時代のスピードの中で、作家に卒倒するチャンスを作ってくれるものなのかもしれませんね。
 それにしても、同じ環境にあって、同じように危機を感じていても、それを文章にすることを恐れてしまう僕からすると、やっぱり、母親は、そして葉子さんという才能は凄いです。

 気になったところは、こまごまとあるのですが、それは、僕ならこう書くかな、みたいな部分で、間違いというわけではありません。一応書いておくと・・・。

>  涙と鼻水。真っ赤になったほっぺでしゃく
> りあげるヨシトの手を引いて、マヤは歩いて

 出だしの描写としては、「涙と鼻水」という言い切りが、状況を切り取っている感じで、臨場感をもたらしています。しかし次の「真っ赤に・・・・・」が文章が長くて、テレビの中の世界みたいに距離を感じてしまいます。

> いた。マヤの顔も涙と汗とで薄黒くなってい

 「薄黒く」という表現が耳慣れないために、皮膚感覚で状況を感じ取るほどに作品に入った読者が、頭を使って言葉の意味を理解しなければならなくなります。読者が一時、作品世界を離れて、頭の中の広辞苑を引いて「薄黒く」を確認しなければならないわけです。

> る。道だった場所に立って眺めた景色は、破
> 壊された家々の残骸。いつか社会科見学で行
> った夢の島のようだった。かろうじて立って
> いるのは、**小学校の左半分。右側は鉄骨 (*原文は固有名詞)

 一般の読者はマヤとヨシトが小学生であることと、姉と弟であることを知らない訳ですから、このあたりで、それを上手くわからせると、作品はより普遍的になると思いました。

> 「長寿庵、ないね……」
> 「***住宅もなくなってる」 (*原文は固有名詞)

 子供たちの日常にあるようなものが無くなっていた方が、作品としてはいいのかな、と・・・。サラリーマンが主人公の作品なら、これらは、メタファーとしてもいきる素材ですが、小学生が主人公であることを考えると、別のものが無くなっていることに驚いている方が、自然だと思いました。

> 「ミサイル、新宿から逸れたんだって。調布
> 近辺の情報は……わからないって」

 「近辺」という表現が、ちょっと硬いかな、と思いました。

 以上、ちょっと気になったところをあげてみました。でも、先に書いたように、これらは、僕だったら、ということです。こうしたこまごまとしたことがどうであれ、こうした作品が、今ここに存在しているということが、本当に凄いです。本当にミサイルが落ちてからなら、誰でも書けるのですが・・・。

 あっ、それから、もう一つ。タイトルですが、個人的には「IF」にしないという方法もあるかな・・・と。
 でもまあ、それも個人的な話で、とにかく、凄いです。最近の葉子さんは、「教室」ものといい、これといい、いい意味で切れまくっていて、羨ましいです。
(水南 森)


From: "向山 葉子"
To: <tansetsu@egroups.co.jp>
Sent: Saturday, March 15, 2003 1:30 AM
Subject: Re: [tansetsu] 作品「IF」向山葉子


 最近は、身近でおこる色々なことが「飛び」という状態です。いわば、近頃の作品は「向山葉子」ではなく「西山葉子」のもので、いつになったら「戻し」になれるのかわからないありさまです。それはそれとして、向山葉子の方も活動させなければ、とは思うのですが。今はとりあえずこれらを書くことが、ストレスを軽減するという役割も果しているようです。

 このところ加速している「反戦平和」のかけ声が、気になって仕方がありません。お茶の間で甘いお菓子を食べることで安心してしまっているような。今、実際に日本海にはミサイルが打ち込まれているのだし、用心棒のアメリカは他の出入りで忙しそうだし、じゃあ、私たちっていったいどうなるわけ?
 防衛力も持たずに(持たされずに)、政策も何ら進まず、このまま平和、反戦と呪文を唱えてたっていずれは……。そんな思いがありました。

> この炭鉱におけるカナリアの役割を、現在の社会では、
> 文学者がその感性によって行えるのではないか。
> つまり、核戦争のような危機が迫って来たときに、
> 誰よりも早く文学者は卒倒することで、みんなに危険を知らせる
> ことができるのではないか。そんな内容だったと思います。

 そんな大それた試みではなかったにせよ、そういう思いは根底にありました。せめて、子供たちだけは守りたい。子供たちはすべて実在する子の名前を借りました。そうすることで、自分にとってはものすごくリアルなものになってしまいましたが、実在の名前をつけることで、願いに血が通うのではないかと考えました。

 いっきに書いて、いっきに送信してしまったので、細かいところは考えて直してみようと思っています。
 米岡さんの、作品に対する真摯な姿勢には脱帽します。何かを指摘されても、私はこう考えて書いたんだからと譲らない依怙地なところがあって、いつしか人の助言を素直にうけいれることが少なくなっていたように思いました。推敲は大事。作品を大切に。芦原さんも書いてましたね。
(向山 葉子)


From: "米岡 元子"
To: <tansetsu@egroups.co.jp>
Sent: Saturday, March 15, 2003 7:19 AM
Subject: Re: [tansetsu] 作品「IF」向山葉子


向山様
 未熟ながら感想を送らせて頂きます。私は現在無職です。やっと、人並みの妻? をして、毎日好きなことをして暮らしています。踊っていたり、唄っていたり、仲良しとお茶を飲んでいたりしている時、ふと、難民の子供を思い出したりして今の自分の幸せを実感しています。戦争の危険をはらんだ今、自分は何をすべきなのか、と思わない訳ではあるのですが、せめて死を間近にしたときジタバタとしないためにも書きたいと思ったことは書こうと思います。
「IF」は、母親の誰もが持っている(いや、そんなこと考えもしない人も多数いる)おもいを、いち早く短説にしたところは、(いつも向山様に感じている世の動きに敏感なことろ感心させられます。
 気になったところは、水南様と同じようなところです。
(米岡 元子)


From: "西山 正義"
To: "新・短説ML座会" <tansetsu@egroups.co.jp>
Sent: Saturday, March 15, 2003 2:34 PM
Subject: Re: [tansetsu] 作品「IF」向山葉子


向山葉子氏の作品「IF」―
 水南さん、米岡さんのご意見を参考に、若干訂正されたものを、さっそくホームページ「西向の山」にアップしました。トップページの「今週のピックアップ短説」からリンクしてあります。まだ推敲の要ありということで、一週間の限定公開です。

 短説本部のホームページの件で、芦原さんには私信を送りましたが、同人・会員の作品をホームページ化するにあたり、作者本人から直接メール送稿されると、こんな早業も簡単にできます。

 それにしても、こんなことにならないよう祈るばかりです。

 しかし本当は、祈るばかりではいけないのだ。僕らが何かしたからといって、世の中は変わるもんじゃないというのは大きな間違いで、僕らが何かをすれば、世界は変わるのです。もっとも、さらに悪い方に向かう場合もあるわけですか……。
(西山 正義)


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