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西向の山/文学散歩 立原道造の風信子荘と別所沼の神保光太郎詩碑


 平成19年5月5日土曜日、浦和の別所沼湖畔に再現された〈ヒヤシンスハウス〉を見に行ってきました。
 そうです、立原道造が設計した、あの〈風信子荘〉です。
 このゴールデンウィークはどこへも行く予定がなく、また出掛けるつもりもなかったのですが、やはり一日ぐらいはどこかにドライブしようと思い、近場であまり混みそうにない所ということで、今朝起きてから思い付き、11時頃に出発。
 思惑通り渋滞もなく、環八から笹目通りを一直線。実際には途中まで裏道をくねくねと行きましたが、幹線道路だけを通るなら、我が家から右折・左折・右折だけで着けます。
立原道造の「週末住宅」:風信子荘 詩人立原道造は、いかにも詩人らしい詩人で、詩人以外の何物でもないように思えるのですが、職業としての本職は建築家で、東京帝大工学部建築学科で三年連続その最優秀賞である辰野金吾賞を受賞するような、建築家としても優れた才能を有していました。
 帝大卒業制作の「浅間山麓に位する芸術家コロニイの建築群」などは壮大な設計ですが、個々には小規模住宅を集積したもので、特に別荘の設計に秀でていたといわれています。
 そんな詩人が、自らのために小さな「週末住宅」を建てようと企図しました。そして実際に、その建設候補地として、昭和12年の冬から翌春にかけて、この別所沼湖畔を訪れています。夢は実現しませんでしたが、「詩人の夢の継承事業」ということで、さいたま市政令指定都市記念市民事業として2004年11月6日に竣工したのがこの〈ヒヤシンスハウス〉です。
 (→公式サイト〈詩人の夢の継承事業 「ヒアシンスハウス」〉)
 その設計図とスケッチを見、また、21年前(昭和61年)、軽井沢のりんどう文庫にその模型が飾られていたのを見て以来、ずっと憧れていました。二年半前、ゆかりの地に再現されたというニュースは知っていましたが、遅ればせながら今回初めて訪問した次第です。


ヒヤシンスハウス(雨戸を閉じたところ)  ヒヤシンスハウス(窓を全開にしたところ)

 左は、十字架をくり抜いた雨戸を閉めたところ。写真を撮るためにわざわざ閉めてもらいました。右は、雨戸を開け、ガラス窓も開けたところ。窓ガラスの写真を撮り忘れましたが、旧丸ビルの古い手作りガラス(硝子と書いた方がふさわしい)を嵌め込んだそうです。(写真をクリックすると拡大されます)


ヒヤシンスハウス(斜め裏側から)  ヒヤシンスハウス(裏の雨戸を閉じたところ)

 裏から見るとこんな感じです。立原道造が愛した五月にふさわしく、新緑が映えた、素晴らしく爽やかな天候でした。


ヒヤシンスハウスの室内

 外観もお洒落なのですが、中がまたいいのです。広くはありませんが、週末を一人で過ごすには非常に贅沢な空間といえます。
 しかも窓を開ければ湖畔。こんなところで読書三昧できたら最高です。(いや、原稿が書けたらというべきでしょうね)。


 意外だったのは、ベッドが小さい(長さが短い)こと。長身の立原が寝たら相当窮屈そうです。でも、立原は丸まって寝そうなイメージがありますが……。
 しかし、昭和10年代に洋式ベッドですからね。一人用の別荘としては、今の感覚でも斬新で瀟洒です。

 別所沼に行ったのは、立原道造の風信子荘〈ヒヤシンスハウス〉を見たかったからで、それを堪能し、食事後、沼を囲む公園をひと廻りしてしまうと、これといってすることはありません。もう一つの目的は別所沼会館の下見でしたが、連休中は休館で中の様子を見ることは出来ませんでした。
 妻と息子で行ったのでしたが(娘は留守番)、結局何をやったかというと、三人でキャッチボール。結構投げ込みました。


浦和の別所沼  別所沼/名物は鰻

別所沼弁天

 この日は端午の節句。別所沼に4時までいて、いったん帰宅し、娘も連れ、夕食は無性にラーメンを食べたくなったので、家族は行ったことがない地元でもちょっと離れたうまい店に行き、そして銭湯に。そうです、菖蒲湯。
 二年前(平成17年)にもこのブログに書きましたが、この日は銭湯に限ります。休日、特にゴールデンウィーク中は日帰り温泉のようなところは大混雑。地元深大寺のそばにある普通の銭湯なのですが、軟水を使ったつるつるのいい湯で、ちょっとした露天もあって、何よりさほど混んでいないのがいいのです。
 話を戻します。
 浦和といえば、画家が多く住んだところで、別所沼も立原道造というよりは、もともとは同じ『四季』の先輩詩人・神保光太郎ゆかりの地なのでした。神保光太郎は平成2年まで存命で、戦前からずっとこの地に住んでいました。


神保光太郎自筆詩碑

 神保光太郎自筆の碑文を刻み込んだ詩碑。
 詳しくは、「さいたま市の学校教育」のホームページ内にある「文学散歩道/神保光太郎」をご参照ください。←このページはなくなってしまった(あるいは移転先不明の)ため、「埼玉の文学-現代篇-」をご覧ください。

エベーカトル・ケッツアルコアトル

〈エベーカトル・ケッツアルコアトル〉

 ところで、別所沼公園にこんなのがいました。河童かと思ったらそうではありませんでした。165cmぐらいあります。
 メキシコ・トルーカ盆地のカリストラワカで発掘されたもののレプリカで、「風の神」だそうです。健康・豊作・知恵を市民にもたらす恵みの神とか。
 1980年10月2日、浦和の友好都市の証としてメキシコ州から贈られたものとのこと。

 立原道造のヒヤシンスハウス。こんな週末の隠れ家があったら最高です。そして、週末だけでなく、それが「永遠の日曜日」であれば……。 


(平成19年5月5日/5月8日/5月9日短説[tansetsu]ブログ」より再構成)

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