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西向の山/文学散歩 つげ義春「散歩の日々」の野川をめぐって
〔1〕國領神社〜野川〜祇園寺/〔2〕


いつもの散歩の逆コース
 つげ義春の「散歩の日々」(『COMIC ばく』1=創刊号・昭和59年6月・日本文芸社刊)を真似て、三百円だけポケットに入れて散歩に出ました。
 僕としてはいつもの散歩コースの逆方面へ行ったわけです。令和2年(2020)1月29日水曜日のことです。
 つげ義春さんが歩いたのがマンガが発表される少し前だとすると、シャツが半袖なことやラストに団地祭りがきていることを考えると1983年の7月下旬ということになります。(もちろんこれはフィクションですが、団地祭りは新暦のお盆を実際には少し過ぎた7月最終週の週末に行われます。これは当時も現在も変わらず)。僕は二十歳でした。するとそれから36年半後ということですね。
 その前日は未明から雪まじりの雨で、一日を通じて冷たい雨が降り続け、深夜には風も強くなり荒れた天候でしたが、翌日は一転、19℃近くまで気温が上がり四月中旬並みの陽気。ということで、午後からウォーキングを兼ねて散歩に出たのでした。

Walking Cat

國領神社
 まずは國領神社へ。(宗教法人としての登記上の名称は新字体の「国領神社」)
 京王線の国領駅というよりむしろ布田駅に近い所に鎮座します。近頃では「千年乃藤」で少しは知られるようになりましたが、地元の小さな神社です。ここへは用事があって来ました。つげ漫画とは関係ありません。

國領神社(全景)

 参拝し、社務所へ。氏子の世話人のひとりになっているので、節分祭の福豆の申込みを取りまとめて持ってきたのでした。

國領神社(拝殿) 國領神社の「千年乃藤」
國領神社(拝殿)
平成18年(2006)2月3日節分祭の日に
御神木の「千年乃藤」
平成23年(2011)4月30日「藤まつり」にて

祇園寺通り
 國領神社は甲州街道の新道(国道20号線)に面していますが、その甲州街道を北側に渡ると調布市立八雲台小学校があり、その東側から北の方へ同柏野小学校まで続いている道が祇園寺通りです。

野川の大橋から三鷹方面を望む

野川(大橋)
 祇園寺通りの野川の橋を渡ります。上が上流(三鷹方面)、下が下流(世田谷方面)を望んだ図です。
 今はもちろん冬枯れていますが、春には土手の両岸が見事な桜並木になります。もう十年ほど前から四月の頭に抜き打ち的にライトアップのイベントが行われていますが、この辺りがその中心です。

野川の大橋から世田谷方面を望む

野川の桜(ライトアップ)
 最近では調布の一大イベントになっていますが、株式会社アーク・システムという照明機器を扱う地元の企業が年に一度、三時間限定で野川の桜並木をライトアップしています。

野川の桜ライトアップ  株式会社アーク・システム提供桜ライトアップ

 写真は平成24年(2012)4月10日の模様。ちょうど私たち「西向」夫婦の結婚24周年記念日でした。本サイト開設満10年の日でもありました。
 野川を北側に渡れば、すぐに祇園寺です。

区切りの飾り罫

祇園寺の薬師堂と本堂
 つげ義春の「散歩の日々」で、
 
  昨日はG寺までちょっと
  遠回りして、野川に沿って
  往復七キロも歩いてきた。

 
 というG寺ですが、東京調布市でG寺といえば誰もが深大寺を思い浮かべると思いますが、このG寺は祇園寺ではないかと思われます。
 湧き水を飲んだという描写があるので深大寺でもいいのですが、深大寺だともう少し距離が延びます。いやそれ以上に、真冬の平日でも常に一人や二人は参拝者がおり、門前には有名な「深大寺そば」の店やみやげ物屋が何軒も並んで営業していて、この作品の主人公が立ち寄りそうな場所としては規模が大きくメジャーすぎる感があります。

虎狛山 日光院 祇園寺(山門)

 天台宗のお寺です。山号は虎狛山、院号は日光院、そして寺号が祇園寺。御本尊は阿弥陀如来像。深大寺を開創した満功(まんく)上人が天平勝宝二年(西暦750年)に創建したと伝えられています。
 左に見えるのが薬師堂。ということで、関東九十一薬師霊場の第十番とのことです。
 門を入るとすぐに出迎えてくれる石像。狛犬のように左右対になっています。虎狛山の「狛」という文字からもわかる通り、明らかに朝鮮半島からの渡来を物語っていますね。

祇園寺の石仏(左側)  祇園寺の石仏(右側)

 作者その人を思わせる主人公が、G寺の湧き水を飲み、ついでに参拝し、
「どうかお金が儲かりますように」などと祈るのですが、
「しかもお賽銭を上げなかったのだから虫がよすぎたかな……」と後日、
「ふっ ふふ ふ」と思い出し笑いなどします。そのG寺です。

祇園寺の閻魔堂

祇園寺の閻魔堂
  実のところ、この「散歩の日々」のG寺は、あくまでもG寺であり、深大寺でも祇園寺でもなく、実際マンガに描かれたお寺のカットはどちらでもありません。
 それでも、構図こそ違え、祇園寺境内の本堂に向かって右手にある「閻魔堂」によく似た御堂が右側に描かれています。まあ、ヒントにしたモデルとしてはやはり祇園寺でしょう。「J」ではなく「G」だし。

祇園寺のお地蔵さんたち

 ただし、薬師堂は平成17年(2005)に、閻魔堂は平成23年(2011)に改築再建されたものですので、つげ義春さんが当時見ていたものではありません。現在の祇園寺はたいへん清潔感のある明るい雰囲気に整備されていて、つげさん好みの貧しくうらぶれた感じは微塵もありません。薬師堂も閻魔堂も“老朽化”のために再建されたとお寺の掲示板の説明にありましたので、あるいは1980年代当時は古寂ていたのかもしれません。僕は当時も地元にいて、ここにも来たことがありますが、たしかな記憶がありません。ただ、本堂は昭和53年(1978)に再建されていますので、「散歩の日々」の当時は逆に真新しかったわけです。


(伝)板垣退助植樹の松
 明治42年9月12日、祇園寺で当時住職だった中西悟玄によって、秩父事件をはじめとする自由民権運動の殉難者慰霊の大法会が開かれたそうです。
 それに参列した板垣退助が記念にアカマツの苗木二本を手づから植えたと伝えられるその「自由の松」が、現在ではこのように天高く聳えています。
 当時朝日新聞に、
「先づ二十余名より成る僧侶の読経ありたる後、住職中西悟玄氏開会の辞を述べ、次に板垣伯、杉田、小久保、栗原三代議士の演説あり。来会者千余人に達し非常に盛会なりし」と報道されたよし。(祇園寺掲示板の「祇園寺のあらまし」ならびに調布市教育委員会設置の案内板より)

祇園寺(本堂からの眺望)

本堂側から見るとこうなります。左(北)が閻魔堂で、右(南)が薬師堂。
そして正面向こうの木が繁っているところに鎮座するのが佐須神明宮です。
以下は〔2〕へ続きます。


(初出:令和2年1月29日/1月31日/2月1日/2月4日短説[tansetsu]ブログ」を大幅増補のうえ再構成)

つげ義春「散歩の日々」の野川をめぐって
〔2〕佐須神明宮〜虎狛神社〜野川へつづく

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