僕が学生時代に通い、そして今また通勤している神田駿河台という所は、その名の通り台地で、坂が多い所です。坂が多いというより、坂だらけと言ったほうがいいでしょう。いや、街全体が坂と言ったほうがいいかもしれません。 |
次の二つは、駿河台一のメインストリートと、その御茶ノ水−神保町間のほぼ真ん中から西へ直角に登る最も駿河台らしい坂。どちらも明治大学に因んだ名がついています。 |
左の石標は、雨模様で光量が足りず碑面が暗くなってしまいました。クリックで拡大すれば文字もはっきり見えますが、左の女性二人のほうに目が行っちゃうかも (別に狙ったわけではありませんが)。 |
「男坂」「女坂」と呼ばれる坂は日本全国至る所にあるでしょうが、これは神田駿河台のそれ。どちらも坂道というより階段です。女坂のほうもけっこう急ですが、踊り場が一つ多く、途中で屈折させているため、ほとんど一直線に下る(登る)男坂よりは多少緩やか。東京では同じ千代田区内にある神田明神脇の男坂・女坂が有名ですね。 |
この二つの坂は、「大正一三年(一九二四)八月政府による区画整理委員会の議決により作られたもの」(出典:『東京23区の坂道』)だそうですが、アテネフランセと明大明治は当時すでに現在と同じ(もしくは隣接する)場所にあったようです。神田女学園は昭和10年当地に移転。従って、名前の由来は不明ながら、明大明治とアテネフランセに負うところが大なのではないでしょうか。 |
さて、この坂の名前、読めるでしょうか。 |
駿河台西町会が設置した石標は、ほとんど這いつくばって超ローアングルかれでないと碑面が撮れません。 |
さて、今回は文学にあまり関係のない探訪になりましたが、最後にこの地区で忘れてはならない文学碑を。 |