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西向の山/文学散歩小川和佑先生の公開大学フィールドワーク(抄)
〈その1〉平成18(2006)年度〈その2〉|〈その3〉|〈その4〉|

 文芸評論家で日本近現代文学研究者の小川和佑先生は、平成12(2000)年度をもって明治大学文学部の講師を定年退職されましたが、引き続き明治大学の生涯学習機関であるリバティアカデミーの教養・文化講座の講師を担当されました。
 平成12年の後期から始まったその講座は、翌年から、教室の外に出て街頭で講義しながらのフィールドワーク(実地見学会)が取り入れられました。平成15年には軽井沢にも行きました。その模様はすでに「軽井沢文学散歩」として本サイトにアップした通りです。ここでは、平成18年以降、私が同行したフィールドワークからその一端をご紹介します。


平成18年4月28日(金)  新宿御苑〜皇居外苑〜日比谷公園

新宿御苑臨時休園 講座のテーマは「俳味と食味の12ヵ月 −旬の味覚を俳句に求めて−」。前期は「新宿御苑の八重桜を観る。今年の名残りの花見を」ということでしたが、なんと当日は「新宿御苑百周年記念式典」のため臨時休園でした。
 縁あって事務局のスタッフになって初めて同行するフィールドワーク。事務局の担当者として全く迂闊でした。
 それで急遽、皇居東御苑に回りましたが、こちらも金曜日は休園。(因みに月曜日も祝祭日以外はお休みです)。仕方なく、大手門から桔梗門、祝田橋方面へ皇居外苑を歩き、日比谷公園に行きました。
 最後は「味覚」ということで、日比谷公園といえばここ、松本楼でお茶をして帰りました。


日比谷公園のアーク灯自由の鐘

日比谷公園の「アーク灯」と「自由の鐘」

 初めて銀座の煉瓦街にガス灯が灯されたのは明治7(1874))年で、8年後の明治15(1882)年11月1日、米国製の発電機を使った二千燭光のアーク灯が点灯されたたのこと。これが日本初の電気街灯で、あまりの明るさに、銀座に多くの見物人が押しかけたといいます。日比谷公園のアーク灯は、明治36(1903)年の開園当時に設置された10基のうちの1基保存されたものだそうです。


日比谷公園の桜

それでも、春の終わりに、名残の桜が見られて良かったです。
日比谷公園には、平成14(2002)年のフィールドワークで「十月桜」を見に来たことがありました。


平成18年11月10日(金)  雑司が谷の鬼子母神〜椿山荘

鬼子母神参道の看板 後期は「秋の雑司谷と椿山荘の紅葉を訪ねる」と題して、午後1時にJR目白駅を出発。まさに小春日和の一日で、歩くには最適でした。雑司が谷から目白台を散策してきました。
 雑司が谷の鬼子母神は、日蓮宗の威光山法明寺の飛地境内(豊島区雑司が谷3丁目)にあるお堂。パソコンの通常テキストの書体では表現できませんが、右の看板にあるように、当所の「鬼子母神」の「鬼」の表記は、頭に角のない字体が正式のもです。つまり、もう「オニ母」ではないということですね。

この鬼子母神堂は拝殿が入母屋造で、本殿が流造の変型権現造だそうです。
このフィールドワークの日から10年後の平成28(2016)年に国の重要文化財に指定されました。

鬼子母神の大公孫樹(上部)
鬼子母神の大公孫樹(下部)

鬼子母神の大公孫樹は、幹周8メートル、樹高30メートルあまり、樹齢600年以上とのこと。

雑司が谷から目白台を歩いて

椿山荘の幽翠池「幽翠池」
 椿山荘(文京区関口2丁目)は、元々は明治の元勲・山縣有朋公の屋敷で、西南の役の功で得た740円の年金で手に入れたそうです。
 江戸時代は久留里藩の黒田氏の下屋敷で、古くは南北朝時代から椿がたくさん自生していたという。そのため「つばきやま」と呼ばれていたのに因み、有朋公が「椿山荘」と命名し、自身の屋敷の庭を「庭園」として整備。
 大正時代に藤田財閥の二代目当主藤田平太郎男爵が譲り受け、戦後に藤田興業の所有となり、戦災で焼失した樹木を1万本あまり補い、昭和27年より結婚式場の営業を開始。平成に入りホテルも併設され、引き続き藤田観光が経営。庭園は一般公開されています。

椿山荘の庭園を歩く

椿山荘の量救水 写真はありませんが、椿山荘の庭園頂上に三重塔が建っています。これは元は広島県賀茂郡入野(現東広島市)の竹林寺にあったもので、室町時代末期のものと推定され国の登録有形文化財になっています。
 その足元付近に、「量救水(りょうぐすい)」という水鉢があります。これも元々は京都の日ノ岡峠の亀の水不動尊にあった水鉢の「本物」だそうですが、何故それが椿山荘にあるのかは謎のようです。
(参照)
椿山荘ー元山県有朋公の御屋敷」/「木食遺蹟(梅香庵址)亀の水不動尊


上池の滝弁財天

左:上池の滝/右:弁財天
椿山荘の庭園には可愛らしい七福神さまが鎮座しています。
うち四福神しか写せませんでしたが、下は左から、福禄寿、布袋和尚、寿老人。

福禄寿布袋和尚寿老人

もちろん最後は、椿山荘のティーラウンジでお茶しました。

(小川和佑先生三回忌に)


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