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西向の山/文学散歩 多摩川の万葉歌碑と万葉乙女

多麻河泊爾左良須弖豆久利左良左良爾奈仁曽許能児能己許太可奈之伎
多麻河にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだ愛しき

【万葉集巻十四・三三七三・東歌】

(現代風に訳すと)
多摩川にさらさらとさらす手づくりの布のように
さらにさらにどうしてこの娘がこんなにかわいく愛しいのだろう
万葉乙女

玉川万葉歌碑 こう書いてしまうと居住地域がバレバレなのですが、我が家から歩いて行ける一番近くの文学碑です。
・東京都指定旧跡「玉川碑跡」(大正11年8月指定)
・所在地:狛江市中和泉4-14-13

 平成17(2005)年10月15日、携帯電話をカメラ付きのものに機種変更して、ショップから帰る道すがら最初に撮った写真がこれ。
 さっそく「短説ブログ」に、ケータイから直にアップできる「モブログ」を実験しました。うまく行ったの図がこちら
 しかし、カメラの光度を補正して撮ったら、下のように左は暗く、右は明るすぎ。どうもうまく撮れませんでした。後日、デジカメでちゃんと撮った写真に差し替える予定です。


万葉歌碑(暗すぎ)  万葉歌碑(明るすぎ)

それから6年、平成23(2011)年8月8日に撮った写真です。
それを、最初の写真から10年後の平成27(2015)年2月14日にアップします。

玉川碑:2011年8月8日撮影

下は今日(平成27年2月14日)撮った写真です。
左=表面:江戸時代中期の老中・松平定信による揮毫(洪水で流失した旧碑の拓本から復元)
中=背面:旧碑の陰記と再建に尽力した渋沢栄一の撰文・書による新たな陰記を併記

玉川碑/表玉川碑/裏羽場順承歌碑

 万葉歌碑本体の向かって右下、盛り土された基壇部分に、この写真の縮尺よりもさらに慎ましやかに、この玉川碑再建に心血を注いだ羽場順承の歌碑が建てられています。草が茂っていると、埋もれてしまうほどですが、この碑を愛する者みなの気持ちを代弁しています。
「建碑 玉川のそ名所も末遠く伝ふしるしの小松石文」
「後楽 願くは千年の後も来り見む百千万の子鶴引ゐて」


玉川碑:2015年2月10日撮影

枝の影も写っておらず、碑面はこれが一番はっきり撮れているかも。
平成27年2月10日三代目の携帯電話(いわゆる“ガラケー”)のカメラで撮影。

ごく簡単な解説

 碑の解説は案内板に譲りますが、実はこんな簡単なことではなく、この歌碑にはたいへんなドラマがあるのです。
 碑のある敷地はちょっとした広場になっていて、ベンチなどもあります。そこに地元の「玉川碑に集う会」の皆様が設置したポストがあり、碑文の解説や詳しい来歴が記された資料が置かれています。井上孝氏文責による「玉川碑 旧碑から新碑へ」をそのまま転載したいぐらいですが、ほぼ同様の内容が〈国土交通省関東地方整備局〉作成のホームページ(PDFファイル)「太古の多摩川に思いをはせて」でも公開されていますので、興味ある方はぜひ読んでください。


玉川万葉歌碑案内板

水神社 この歌碑の所在地は、大正12年8月以来現在の地で、これも歴史的な旧街道である「旧品川みち」(「いかだみち」とも呼ばれた)に沿っています。
(ようやくこぎつけた再建も、その除幕式を直前にして、関東大震災で一度倒れています)。
 その細い道を挟んだ真向いは、平成26年に宅地として大規模に造成され、今では真新しい家が立ち並んでいます。
 そして、土手に沿った大きな道を多摩川の方に渡り、西河原公園に向かってちょっと下がったところに、「水神様」があります。ちょうど、かつて江戸の南を潤した「六郷用水」の取り入れ口跡のあたりに位置します。

2015年2月14日撮影  2011年8月11日撮影

左=「六郷用水取り入れ口」の説明板とモニュメント
右=その向かい側に立つ“一本木”
 六郷用水とは、徳川家康の命により、代官小泉次大夫吉次によって造られた灌漑用水路で、多摩川中流域の、現在の調布市と狛江市の境あたりから分岐し、世田谷を経て大田区まで、全長23Kmにおよんだそうです。

多摩川五本松:2015年2月14日撮影  多摩川五本松:2005年11月2日撮影

 その水神様の南側にあたる六郷用水取り入れ口から土手に登ると、「新東京百景」にも選定された多摩川五本松が見られます。実際には松は10数本あります。
 僕の個人的な原風景の一つです。
 このあたりから、川を挟んで右手(南西側)によみうりランドの観覧車が聳える多摩丘陵と、左手(東南側)に今はなき向ヶ丘遊園の観覧車と鶯色の世田谷通り(津久井道)の多摩川河原橋が見える景色は、僕にとって掛け替えのない風景です。いやもちろん僕だけでなく、地元の誰もが愛してやまない景観です。

多摩川中流左岸:和泉多摩川方面を望む  多摩川中流左岸:京王多摩川方面を望む

万葉乙女の像多摩川にさらす手作りさらさらに
   何そこの児のここだ愛しき

      (万葉集巻十四)
 この歌の「この児」をイメージして彫られた乙女像です。万葉ロマンですな。
 東京芸術大学教授・山本正道氏の作品で、平成8(1996)年3月に狛江市により設置されました。
 小田急線狛江駅のロータリー広場に、いかにも可憐に慎ましやかに鎮座していますが、万葉時代の実際の武州多摩郡の乙女は、こう言ってはなんだがもっと野卑だったのではと思います。
 野暮で泥臭く、しかし元気で、何より働き者で、野性味に溢れていた。仔犬のようにコロコロした、今や死語ですがトランジスターグラマー的で、性的にも奔放で……と勝手な想像でした。


多摩川中流左岸の桜並木

(平成17年10月15日/10月24日/11月2日/平成18年1月23日/平成26年4月8日短説[tansetsu]ブログ」より再構成+平成27年2月14日写真&文を大幅増補)

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