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小川ゼミ通信2003 平成26(2014)年〜平成27(2015)年


〔平成27年7月29日〕

■小川和佑先生一周忌のご案内■

「小川ゼミ通信」Vol.35
小川和佑ゼミナールOB会の皆様(全員「TO:」で送ります)

 連日猛暑が続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
 早いもので、小川和佑先生がお亡くなりになってから一年が経とうとしています。
 来る9月20日が満一年の命日になります。

 そこで、ご遺族により一周忌の法要が執り行われますが、学生さん(私たちは今でも「学生さん」なんですね)もどうぞ、ということで、以下のような参加方法を考えました。
 ご都合に合わせてご参列いただければと思います。

【日程】9月20日(日)午前10時〜
【会場】正行寺
(しょうぎょうじ)
小川家菩提寺・墓所(浄土真宗本願寺派のお寺)
栃木県宇都宮市泉町2-16
JR宇都宮駅西口から真っすぐ延びる「大通り」を二荒山神社を越して、みずほ銀行の角から一本裏の細い泉町通りへ。
ホテル丸治のほぼ真裏。東武宇都宮駅からなら徒歩5分程。

【予定】
(A)午前10時より、正行寺にて一周忌の法要(おそらく1時間ほど)
境内の小川家墓所にお参り

(B)その後、ご遺族・親族と、近くの宇都宮東武ホテルグランデにて御斎(会食)
※これには、どのくらい参列できるか未知数で、席数の都合もあり、全員のご希望に添えない場合もあります。
参加を希望されない方、できなかった方は、それぞれ昼食を済ませ、次のOB会に合流ください。

(C)昼食後、午後2時に、もう一度お寺に集合し、(場所を移し)OB会を開催。

(D)午後2時から参加。お寺に集合(合流)し、お墓参り、OB会へ。

◆上記(A)〜(D)で参加を希望する項目をお知らせください。

【ご香典について】
「御佛前」として、(A)(C)(D)に出席の方は三千円をご用意ください。
(B)に参列の方は、一万円をお願いします。
OB会の「会費」は実費を分担。

 なお、次男で青山学院大学教授の小川靖彦氏が、和佑先生の近現代詩に関する評論や研究を、詩の鑑賞書に編成しなおした本を制作されました。
 タイトルは『詩の読み方―小川和佑近現代詩史』で、一周忌に合わせて笠間書院から刊行されます。約300頁の大冊で、14人の詩人が取り上げられているとのことです。
 奥様は、この本を、参列のみなさんに差し上げたいとのご意向ですので、8月20日までに出欠の返信をお願いします。

 これとは別に、生前の先生のいくつかの著作から文章を得て編集された『日本のたしなみ帖 桜』(共著)が自由国民社から2月26日に刊行されています。こちらは是非ご購入ください。

 メールが繋がらない方には、本状をプリントアウトして郵送しますが、ケータイでもスマホでもフリーメールでもアドレスをお持ちなら、何卒ご連絡ください。
 消息不明の方もたくさんおります。同期などの消息をご存知でしたら、転送をお願いします。

西山正義&葉子/五十嵐正人


〔平成27年3月11日/3月27日〕

小川和佑先生出演テレビ再放送

「小川ゼミ通信」Vol.34
小川和佑ゼミナールOB会(ならびに関係)の皆様

 昨日は東京大空襲から70年、本日は東日本大震災から4年、あらためて、非業の死を遂げられた幾多の方々のご霊前に、鎮魂の祈りを捧げます。
 そして、われらが恩師・小川和佑先生がお亡くなりになって、はや半年が経とうとしています。
 その喪失感は、思っていた以上で、いかに先生が大きな存在であったかあらためて思い知らされました。

 それでも春は来、桜は咲きます。
 昨日、先生の奥様からお葉書をいただき、先生が出演したテレビが再放送されるというので、急ぎお知らせ致します。

3月25日(水)22:00〜22:43
NHKテレビ総合【歴史秘話ヒストリア】
「桜の木に恋して〜日本人と桜の物語〜」

 4年前、震災直後の平成23年4月6日に放送されたものです。
(たしか、震災で少し延期されてこの日になったのではなかったか)。
 先生が登場するのは、番組全体からすればほんの僅かなものですが、生きてお話しされている姿が映し出される筈です。
 4年前見過ごした方はもちろん、ご覧になった方も、やがてまた桜が咲く季節に、小川和佑先生を再び……

さらなる再放送 みなさーん、25日の放送はご覧になったでしょうか。ほんの一瞬ではありますが、先生が生きてお話しされている姿がリアルタイムのテレビに映し出されましたね。ちょうど東京で開花宣言が出た日でした。これから満開を迎えるわけですが、それに合わせて、さらなる再放送が決定しました。
4月1日(水)14:05〜14:48
NHKテレビ総合【歴史秘話ヒストリア】
「桜の木に恋して〜日本人と桜の物語〜」

 何度でも、桜、さくら……
 今年の桜は、そう、先生が見ることができなかった桜です。
 今年の桜はそういう桜なんですよね。


〔平成26年11月7日 22:25〕・・・「小川ゼミ通信」Vol.33

小川和佑ゼミナールOB会の皆様

 われらが恩師、小川和佑先生がご逝去された日(9月20日)から数えて、本日で四十九日となります。
 仏教では、人は死後、初七日から七日ごとにお裁きを受け、その七倍である四十九日目に、輪廻によって次に「六道」中のどの世界に生まれ変わるかが決まるとされています。
 死後四十九日までは、この現世と来世のあいだをさまよっている期間だそうで、「中有(中陰)」といい、正式には七日ごとに法要を行います。その最後の法要が四十九日「満中陰」で、この日をもって「忌明け」となります。

 小川家の菩提寺の宗派である浄土真宗では、人は臨終と同時に仏になると考えられていますので、少し異なる考え方をするようですが、四十九日が重要な法要の日であることには変わりません。
 そこで、四日前の11月3日(月曜/文化の日)、宇都宮市泉町の「正行寺」にて、小川和佑先生の四十九日の法要が営まれました。

 奇しくも、先生の臨終に立ち会った縁により、教え子を代表して、五十嵐正人さんと私西山正義と妻の葉子(先生ご夫妻のご媒酌で結婚)で参列して参りました。
 午前10時より、先生とは幼馴染でもあるというご住職の読経で、四十九日の法要は無事に終了致しました。ご住職から上記のような四十九日についての法話がありました。
 御骨はすでにお墓に納骨されていますので、境内の小川家墓所にお参りし、すぐ近くの宇都宮東武ホテルグランデにて、「精進落とし」をいただきました。

 さて、その後です。
 五十嵐さんと私のたっての希望で、ご自宅に寄り、先生の書斎を見せていただきました。
 毎年お正月の三日、先生のご自宅に通いだしてからもう三十年になりますが、二階に上がるのも、書斎に入るのもまったく初めてでした。

 窓(それは家の裏側を向いている)に面した中央に、年季の入った坐り机があり、両脇は本棚(しかも極めて貴重な本ばかり詰まった本棚)ですが、その表面が隠れるぐらい資料や何やらが山と積まれています。
 一口に言えば、よく文学アルバムに載っているような、往年の文学者のまさに「文士の書斎」そのものでした。もう、こういう部屋、こういう机で物を書く人はいないのではないでしょうか。そして、やはりパソコン(ワープロ)なんかで物を書くのでは駄目なのではないかと、五十嵐さんとも話しました。

 先生は私たちが思っている以上に全国をあっちこっち飛び回っていて、案外行動家ですが、基本的には書斎派です。講義や取材のない日は、一日のほとんどをこの書斎に籠っていたそうです。
 そして、ここから軽くその歳の数を超える著書と膨大な原稿が生まれたのです。
 机の前の座布団に坐ってみました!(言葉がありませんね)。この窓から見える景色を毎日眺めながら、こつこつと原稿を書いていたのですね。

 その書斎の入口付近の壁に、先生が今まさに脱いだばかりというように、見覚えのあるツイードのジャケットが掛かっていました。私が着てみると、まるで誂えたようにぴったりでした。
 奥様から、思いがけず、形見に戴いてしまいました。ほかにもカジュアルっぽいズボンとネクタイまで。五十嵐さんは頑張って痩せますということで、フォーマル・スーツを。

 五十嵐さんも私も、当然のことながら黒ネクタイをしていたわけですが、帰りは二人とも先生のネクタイに締め直して帰った次第です。
 私はさらに黒の礼服から先生のジャケットに着替えて、先生のご自宅をあとにしたのですが、それはそれは何とも言えない不思議な感覚でした。

 先生の師(中村真一郎)のそのまた師である堀辰雄の出世作『聖家族』は、そのまたさらに師である芥川龍之介の死がモチーフで、
「死があたかも一つの季節を開いたかのようだった」
 という有名な一節で始まります。9月20日以来、このフレーズが僕の頭の中をずっと渦巻いています。

西山正義 拝
小川和佑ゼミナールOB会事務局
「小川ゼミの部屋」http://homepage3.nifty.com/masayoko/ogawazemi.htm
「小川和佑先生著書目録」http://ogwkzsk.blog.fc2.com/



〔平成26年9月27日 21:30〕・・・「小川ゼミ通信」Vol.32

明治大学文学部ほか
小川和佑先生ゼミナールOB/OGの皆様

 平成26年9月20日午後2時50分、小川和佑先生の“最期”を看取ってから一週間が経ちました。
 宇都宮記念病院で、奥様、娘さんご一家、次男のお嫁さんに混じって、五十嵐正人さんと娘の摩耶で立ち会ったその瞬間は、それはそれは衝撃的でした。
 そして葬儀・告別式から三日。
 やはり書いておこうと思います。少し長くなりますが、その後のご報告です。

 23日午後5時からのお通夜に先立ち、3時半から「納棺」の儀が行われました。
 かなり立ち入った事なので、当初は親族のみの予定でしたが、私たち教え子も立ち会わせていただきました。
 やはり「受付」はゼミOB会で担当することになりました。ご協力ありがとうございました。

 通夜振る舞いの席の半分は、さながらゼミOB会のようになり、さらに十数名は宇都宮駅近くの居酒屋に寄りましたので、若干にぎにぎしくなりましたが、翌日の告別式はさすがに辛いものがありました。
 お通夜は秋分の日ということもあり、多くの方が参列できましたが、告別式は限られた人のみなので、それ以降を詳しく。

 告別式も私たちで受付を担当しました。
 受付:西山葉子とA.Y.さん、香典の記帳:九州から飛んで来たT.K.君、写真撮影:Y.T.さん、会計責任者:西山正義

 告別式には明大ゼミの最も古いOB(の遺児)から最も若いOGが参列することになりました。
 先生に先立つこと三週間、8月30日に61歳の若さでお亡くなりになった初代ゼミ長であるH.M.さんの遺児3名、成城学園大学のH.T.君・Nさん夫妻、やはり九州から飛んできた大東文化大学のM.Y.君、そして最も若いS.M.さん、それから昭和女子大学や宇都宮商業高校の教え子、編集者の方などなど。

 告別式での次男・靖彦さん(青山学院大学教授)の挨拶は、私たちもよく知らなかった先生の生い立ちや、文学的バックボーンにも触れられた感銘深いもので、心に染み入りました。さすがは万葉集が専門で、先生の別の面を引き継ぐ国文学者なのでした。

 因みに、24日は、受付台の横に、先生の著書がほんのごく一部ですが展示されました。
 実は、私は先生のラジオ講座のテープを持参していて、会場で流すべくラジカセも用意しようかと思っていましたが、葬儀の席でそれはあまりにも切なすぎる気がしてできませんでした。

 最後のお別れ、そしていよいよ「出棺」の時、それを見送るのは誰の葬儀でも最も辛い場面ですが、最後まで残った5名にはもっと辛い場面が待っていました。

 当初は、火葬場まで同行し、お骨を拾うところまでは立ち会いたいと思っていましたが、さすがにそのあとの納骨や精進落としは親族のみで、私たちはご遠慮する予定でした。
 が、私が葬儀においてある意味一番重要な「会計」を担当し、二日間の香典を預かっており、それは斎場の金庫に保管されているとはいえ、引き継ぎが必要なため、最後の最後まで立ち会わせていただくことになりました。

 火葬についてはもう書けません。
 宇都宮(栃木県?)の風習で、火葬後、その足でお骨を菩提寺のお墓に納骨しました。
 骨になり、お墓の下に入ってしまっては、もう観念するしかありません。

 親族に混ざって精進落としまでいただき、最後にもう一度「戸祭ホール」に戻ってきたのは夕方の5時少し前。
 親戚も帰られ、荷物も点検し、最後の最後に会計の引き継ぎをしました。

 納骨の時、雨がぱらつきかけましたが、降られずに助かりました。
 しかし帰途、東北道に乗った途端に土砂降りになりました。みんなの涙雨でしょうかね。

 長くなりました。
 最後に、お寺の所在地を記しておきます。すでに納骨されておりますので、お参りはご自宅ではなくこちらにお願いします。 

戒名は「証智院釋教顕」
『正行寺(しょうぎょうじ)』(浄土真宗本願寺派)
栃木県宇都宮市泉町2-16

JR宇都宮駅西口から真っすぐ延びる「大通り」を二荒山神社を越して、みずほ銀行の角から一本裏の細い泉町通りへ。ホテル丸治のほぼ真裏。
東武宇都宮駅からなら徒歩5分程。

 とにかく、みなさん、もう一度先生の本を読みましょう。そして、何か書いて! 

西山正義 拝
小川和佑ゼミナールOB会事務局
「小川ゼミの部屋」http://homepage3.nifty.com/masayoko/ogawazemi.htm
「小川和佑先生著書目録」http://ogwkzsk.blog.fc2.com/



〔平成26年9月21日 17:10〕・・・「小川ゼミ通信」Vol.31

明治大学文学部ほか
小川和佑先生ゼミナールOB/OGの皆様

とうとうこの日が来てしまいました。いつかはと覚悟していたこととはいえ、
その事実から24時間以上経って、やっとメールいたします。

昨日、平成26年9月20日の午後2時50分、われらが恩師、
小川和佑先生が永遠の眠りに就かれました。

このメールを打ち始めた折、ご遺族からお電話等があり、
御葬儀の日程・会場が決まりましたので、まずはそちらをお知らせ致します。

■お通夜
9月23日(火/秋分の日)午後5時〜
■葬儀・告別式
9月24日(水)午前10時30分〜 (出棺:11時30分)

会場はいずれも『栃の葉 戸祭ホール』です。
住所:栃木県宇都宮市八幡台1-28
TEL:028-650-5166
http://sougi.bestnet.ne.jp/tochinohato-utsunomiya/map.html
JR宇都宮駅西口よりタクシー15分(駐車場350台)

喪主は、奥様であられる小川節子様です。

なお、おおよその人数把握のため、
ご会葬される方は西山までご一報いただけると助かります。

また、もしかすると、私たちで「受付」などのお手伝いをすることになるかもしれませんので、早めに来られる方はよろしくお願いします。
未確認ですが、西山の予想では、おそらくお手伝いが必要になるかと推察しております。親族は動けませんので。
因みに、納棺は23日の午後3時30分です。

小川和佑先生は、昭和5(1930)年4月29日のお生まれ。庚午。今年は年男でした。
享年は満年齢で84歳。
直接の死因は胃癌ですが、検査の結果、そうとはっきり判明したのはつい最近のことで、長く患うことなく、奥様、娘さんご夫婦、それにお嫁さんやお孫さんに看取られながら、静かに息を引き取りました。

9月9日、にわかに体調が悪化し宇都宮記念病院に入院。
昨日、五十嵐正人さんと私西山とその娘でお見舞いに行ったのです。
翌日(すなわち本日)もOB/OG数名が伺う予定でした。
実を言うと、お見舞いのお花を買うのに手間取り、予定より遅く到着したのです。
その時がまさに御臨終の時でした。すでに心拍数は「0」の警告が点滅していて……
でも、先生のお体はまだ温かく……(思えば先生のお体に触ったのは初めてでした)
それはまるで、五十嵐さんと私(それは「皆さん」であるのですが)と孫弟子の到着を待っていたかのように……

穏やかな御顔でした。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

先生は第一に物書きです。書かれたものは我々に残されています。
もう一度、何度でも、読みましょう。それが一番の供養でしょう。――合掌

(なお、このメールは念のためBCCで送りますので、誰に送っているか不明でしょうが、同級生などに廻していただけると助かります。一部には誠に恐れながら、明大以外の方や編集者の方にもお送りしております)

西山正義 拝
小川和佑ゼミナールOB会事務局
「小川ゼミの部屋」http://homepage3.nifty.com/masayoko/ogawazemi.htm
「小川和佑先生著書目録」http://ogwkzsk.blog.fc2.com/



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