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小川和佑先生と歩く軽井沢 〔9〕  〈軽井沢編〉 | 〈信濃追分編〉 | 〈軽井沢広域編〉

〔1〕序〜新軽〜矢ヶ崎大橋〜りんどう文庫 〔2〕ささやきの小径〜旧サナトリウム 〔3〕旧軽銀座〜観光会館〜神宮寺の桜
〔4〕近藤長屋〜つるや旅館〜ショー礼拝堂 〔5〕二手橋〜犀星文学碑〜白鳥文学碑 〔6〕水車の道〜片山別荘〜聖パウロ教会
〔7〕テニスコート〜万平ホテル〜三笠ホテル 〔8〕碓氷峠見晴台〜万葉歌碑〜御風歌碑 〔9〕熊野皇大神社〜吾妻はや〜アリスの丘

■熊野皇大神社/熊野神社

 地形的に見れば日本は至るところに難所があり、中山道も例外ではありませんが、旧碓氷峠はそのなかでも難所中の難所であります。標高約1,200メートル。その頂上に位置するのが熊野皇大神社/熊野神社です。なぜ二つの名前を併記するかというと、後述の通り名称が二つあるからです。
 前ページで述べた峠の茶屋がある参道から山門を見上げると、ご覧の通りで、峠のまさに頂上におわします。左は昭和61年9月、右は平成15年10月。こうして見較べると、この17年の間にずいぶん修復されているのが分かります。

熊野皇大神社/熊野神社の参道(1986.9.15)  熊野皇大神社/熊野神社の参道(2003.10.17)

 その歴史はたいへん古く、「古事記」「日本書紀」の伝承にまで遡ります。日本武尊が東征し、その凱旋の際、碓氷の坂で、神武天皇の「即位建都の大詔」を偲び、この社を勧請されたといいます。  

熊野皇大神社の「随神門」 長野県(信濃国)と群馬県(上野国)の県境(国境)に跨がって鎮座するという全国でも珍しい神社で、本宮・新宮・那智宮の熊野三山が祀られています。
 管轄する県が異なりますので、一つの神社でありながら二つの宗教法人に分かれていて、
●長野県側は「熊野皇大神社」、
◎群馬県側は「熊野神社」と称しています。
 そのため宮司も二人おり、それぞれにお祀りを行い、社務所はもちろん祈祷もお札やお守りも別になっています。お賽銭箱も二つ並んでいます。(どちらに入れたらいいのか、あるいは両方に入れるべきなのか……)
 当然住所も異なります。
●長野県北佐久郡軽井沢町大字峠町碓氷峠1
◎群馬県碓氷郡松井田町峠1

熊野皇大神社/熊野神社本殿○本殿中央の県境に跨がって御鎮座ましますのが「本宮」
 (祭神:伊邪那美命・日本武尊)
◎上野国・群馬県側(向かって右)に鎮座されるのが「新宮」
 (祭神:速玉男命〈ハヤタマオノミコト〉)
●信濃国・長野県側に鎮座されるのは「那智宮」
 (祭神:事解男命〈コトサカノオノミコト〉)

■熊野皇大神社のしなの木

 写真左手少し入った所に、樹齢850年ともいわれるシナノキがあります。説明書きがなくても、一目立派な巨樹で、注連縄が張ってありますので、すぐに御神木だと知れます。
 シナノキは比較的高地で見かける広葉樹で、一説には長野県に多くあるので、「科の野」から「信濃」の語源になったとも言われています。写真がなくて恐縮です。こちら↓をご参照ください。
・「熊野皇大神社のシナノキ(『日本の巨樹・巨木』)
・「熊野皇大神社のシナノキ(『人里の巨木たち』)

 また、「科」は「結ぶ・くくる・しばる」の語源とされ、そこから開運や特に縁結びの御神木として信仰を集め、最近ではいわゆる“パワースポット”として脚光を浴びています。7月頃に白い小さな花をたくさんつけます。咲いているところを見てみたいものです。

熊野神社の神楽殿 おもな祭礼は、1月6日の御田遊神事、5月15日の春季例大祭と10月15日の秋季例大祭には、お神楽「碓氷太々神楽七座」が奏上されます。
 前ページで触れた安中藩で行われた藩士鍛錬のための徒歩競争「安政遠足」が今もこの神社をゴールに毎年5月に開催されているそうです。

■石の風車と狛犬

 わが国草創期の日本武尊〈ヤマトタケル〉伝説と中山道の要所に位置したため、古来から皇族はじめ、武家から町民にいたるまで一般の崇敬厚く、追分節にも「碓氷峠の権現様」と歌われています。
 その追分節に、
「碓氷峠の あの風車 たれを待つやら くるくるまわる」
 という一節があります。参道の急な階段を登り切った所にある苔むした「石の風車」がそれです。
 それから、ここの狛犬は、通常でも左右二体で一対になっているわけですが、左が長野県、右が群馬県に分かれています。室町時代中期のもので、長野県では最古といわれ軽井沢町文化財に指定されています。おまえは何物?と言いたくなるようなちょっと奇妙な顔・形をしていて、何の動物だか分からないような代物ですが、これがなんとも可愛らしいのです。

区切りマークまったく遺憾ながら、御神木のしなの木、石の風車、ちょっとユニークな狛犬、随神門の武将(?)の像、「新宮」の群馬県では最古の古鐘など、ここでの見るべき写真がありません。次回までの宿題とします。――と平成17年に書きましたが、平成30年4月にも旧碓氷峠までは足を延ばせませんでした。しかし今やインターネットで個人が情報を手軽に発信できる時代、誰かしらがネット上にアップしているものです。たとえばこちら→「軽井沢熊野神社(熊野皇大神社) 長野と群馬の県境にある珍しい神社です(『ノークラウド』

■日本武尊の「吾妻はや」

日本武尊の「吾妻はや」の地 ヤマトタケルの命(倭建命・日本武尊)は東征の途上、草薙の剣で焼遺(やきつ)の難を逃れたあと、さらに東国へと走水の海(浦賀水道)を渡ります。すると今度は海峡の神が荒波を起こし、海上でたいへんな難儀をします。そこで、后のオトタチバナヒメの命(弟橘比売命)が我が身を呈して海に入り、荒ぶる神を鎮めました。
 そして東征を果たした帰途、ある坂(峠)の頂きから遠くの海を眺め、ヤマトタケルの命は、愛妃・オトタチバナヒメの命を偲び、三度ため息をつき、
「あづまはや(ああ、我が妻よ!)」と、嘆いたといいます。

 その場所は、「古事記」では現在の神奈川県の足柄の坂ですが、「日本書紀」ではこの碓氷の坂になっています。たしかにここからは東国(あづまの国)が一望できます。しかし、さすがに海は見えません。海への連想的には、そう嘆いたのは足柄峠の方がふさわしいようにも思えますが、「日本書紀」の方が東征のルートが長く、ようやくここに辿り着き、地平線の遥か向こうの海を思い、亡き妻を偲んだとしても不思議はありません。また碓氷峠はよく霧が発生しますので、その雲海があたかも「海」のように見えたという説もあります。
 上の写真は単に白っぽく映ってしまっただけで霧による雲海ではありませんが、濃霧の時はこんな感じになるでしょうね。

区切りマーク(歩く白猫)
区切りライン


〔ひとまず完結〕 ふーう、やっとここまで辿り着きました。平成15年10月17日(金)、小川和佑先生の明大リバティ・アカデミー公開講座で行なわれた「軽井沢文学ツアー」。
 総勢25名の一行は、最後に熊野皇大神社/熊野神社を参拝し、峠の茶屋前のバス停から、再び軽井沢観光会館前へ戻りました。旧軽井沢から新軽井沢の本通りへ、新幹線の時間を気にしつつ、それでも買い物したりしながら。有志で信濃追分の油屋に一泊する案もありましたが、結局は泊まらずに、みなその日のうちに一緒に帰京。
 午前10時から午後4時半頃まで。現地にいたのは、わずか6時間あまり。その模様をホームページにアップするのに、1年8か月もかかってしまいました。

□忘れんぼのバナナケーキ

 私一人は自家用車で来ていましたので、軽井沢駅のホームでみなを見送った後、いったん軽井沢本通り脇のパーキングに戻り、そして、家人との約束を果たすべく、ある場所へ向かいました。
 国道18号バイパスに出て、追分方面へ。本当はすぐの所で反対車線にUターンするのですが、かなり行き過ぎてしまい、どうせならと、追分の分去れまで行き、夏に来た時に取り損なった写真が撮れたのは収穫でしたが、焦りました。閉店時間を確認していませんでしたが、おそらくそろそろ閉店かと。しかしなんとか目的の店に閉店間際に滑り込むことができました。
区切りマーク
 その店とは「アリスの丘ティールーム」。作家・森村桂さんと旦那さんのM・一郎氏が経営する手作りケーキとジャムのお店。軽井沢バイパスの上り線側、雨宮橋のたもとにあります。妻と娘に、一人だけ軽井沢で楽しんでくるのだから、必ず「忘れんぼのバナナケーキ」を買ってくることと念を押されていました。
 本当に閉店間際で、別荘の建築の打ち合わせをしているらしいお客がいるだけで、私が最後の客でした。そんな時間に一人で焦りながら店に入ってきた40過ぎ(いえ、この時はジャスト40でした)の男の客。何と思われたでしょう。お土産用が残っているかどうか心配でしたが、最後の一つがありました。最近はあまり店に出られていないとも伺っていた、森村桂さん自らケーキを切ってくださいました。それがお目にかかれる最後になろうとは!
 それから1年しない翌平成16年の9月27日、森村桂さんが自ら命を絶ったというニュースには驚きました。『天国にいちばん近い島』どころか、「天国」そのものに逝ってしまいました。鬱病があったといいます。享年64歳。その葬儀では、友人として美智子皇后陛下が弔辞を読まれたそうです。

□アリスの丘ティールーム

 平成元年(1989)9月の小川ゼミ二度目の軽井沢合宿では、森村桂さんの大ファンだという女子学生がいて、もう本人に会えたそれだけで感涙、感涙で、森村桂さんも感激し、もともと小川先生とも旧知ということで、一つでもボリュームのあるバナナケーキのおかわりをしこたまいただくという“事件”がありました。
 その4年後の平成5年(1993)の夏には、同じゼミ仲間の別荘に泊まりに行ったときに寄り、当時まだ二歳前の娘の軽井沢デビューに花を添えました。その時の店内を写した8mmビデオがあるはずなんですが、もはやカビているかも……。
その「アリスの丘ティールーム」は、作家の遺志を継いで、その後も変わらず営業されています。
(注記)と、平成17年(2005)6月に記しましたが、その後どうも様子が変わってしまったようです。オープンしたのは、1984年に撮られた角川映画『天国にいちばん近い島』がヒットし、映画は原作とは全くストーリーが異なりますが、原作も再び脚光を浴びていた昭和60年(1985)で、「ウィキペディア」によると「2014年2月28日をもって閉店」とあります。
 しかしその後、2016年11月に再開されています。ところが、2017年9月に訪れた方の「口コミ」サイトへの投稿によると、テラス席は物置と化し、店内も雑然としていて、肝心のケーキも……という残念な状態になっているようです。
 公式サイトもかつては二つのURLが確認できますが、〈http://alicenooka.hp.infoseek.co.jp/〉も〈http://www10.ocn.ne.jp/~aliceoka/〉も2018年7月現在アクセス不能です。そもそもどちらもサーバー自体がサービスを終了しています。『アリスの丘からこんにちは 軽井沢/森村桂の手作りケーキ』というブログを発見しましたが、2017年8月13日の投稿を最後に更新されていません。
 たぶん、このお店に夢やロマンやいい思い出を持っている愛読者も多いと思います。夢は綺麗なまま終わらせるか、あるいは「森村桂記念館」など別の形に再生させるかした方がいいと思うのですが、それにはたいへんな熱情が必要で、しかしもはやブームは去り……。こういうことはなにも彼女だけの問題ではなく、作家のブームなんてそういうものなんですが……。

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 最後にもう一度旧軽井沢に戻って、いかにも軽井沢らしい別荘地帯の小径の写真をアップします。昭和61年9月13日、小川ゼミ最初の軽井沢合宿で撮ったものです。おそらく「ささやきの小径」の辺りだと思うのですが、正確な場所を覚えておりません。右に見える白い壁の別荘から場所を割り出せると思うのですが、何か幻の道のように思えてきます。もうこの向こうへは二度と戻れないような……。たぶん、残念ながら、そうなんでしょうね。しかしそれでも、性懲りもなく足掻いているわけなんですが……。

旧軽井沢の小径(1986.9.13)
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〔平成15年版の編集後記〕

 さて、目論見としては、この「軽井沢文学散歩アルバム」は、今回のリバティ・アカデミー公開講座での旅に留まらず、小川ゼミの合宿で泊まったむしろ軽井沢より思い入れのある〈信濃追分編〉へと続くべくところなのですが、いつ着手できることやら……。
 沓掛・星野・千ヶ滝などの中軽井沢、南軽井沢から塩沢湖周辺、鬼押し出しに白糸の滝、さらには北軽井沢と、ほかにも見所はたくさんあります。旧軽井沢方面も、もちろんこれだけではありません。いや、一般的な見所を上げたら切りがありません。それは私(このサイト)の守備範囲ではありません。ただ、文学に関わりのある場所だけでも、まだまだあります。それについては今後も増補したいと思っています。しかし、ひとまずは完結ということで。

 最後に、〈信濃追分編〉の予告として、今から19年前、小川ゼミの合宿の下見に行った時のことを書いた短説「常夜燈」を読んでいただけると嬉しいです。同作品へのコラボレーションとして、作中に描いた実際の「追分宿の分去れ」と「分去れの常夜燈」の写真も今年1月にアップしました。併せてご覧ください。

(平成17年6月3日・西山正義)


〔平成30年版の編集後記〕

 小川和佑先生亡きあと、最初の軽井沢への旅から32年、小川ゼミ初の軽井沢合宿から32年、先生と最後に歩いた軽井沢から15年、平成30年4月9日から10日にかけて、私たち夫婦の結婚30周年を記念して、信濃追分を中心に軽井沢を再訪してきました。
 それでようやく、この「小川ゼミの軽井沢文学散歩アルバム」の本当はメインになるべき〈信濃追分編〉に着手しました。が、その途上で、やはり既存の〈軽井沢編〉の不備が気になり、まずはこちらの大幅な増補に取り掛かりました。すでに3か月以上かかっています。
 それでもまだ取りこぼしが多々あるのですが、あくまでも「小川和佑先生と歩いた」という主眼でいえば、大方は網羅できたと思いますので、今後さらに増補するにしても、それはまた新たな構想のもとに別にページを作ることになるでしょう。その後の最新情報をいちいち更新していたら際限がありませんし。ですので〈軽井沢編〉はこれにて完結ということにします。
 それでは引き続き、どうぞ〈信濃追分編〉もお楽しみください。

(平成30年7月31日・西山正義)


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